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偽りの競争原理

偽りの競争原理
服部茂幸氏は、『アベノミクスの終焉』(岩波新書1495、2014年)の中で、「偽りの競争原理」について述べている(pp.152-155)。
著者は、「競争は必要だという主張は抽象的には正しいであろう」と述べた上で、成果主義の導入が大失敗したことを、富士通とソニーの大失敗を犯した事例(すでに通説)から批判している。現在では、成果主義は公務員や大学にも導入されておりやはり失敗していると私も思う。著者は「なぜ成果主義は失敗するのであろうか」と問いを投げかける。そして、「アメリカ式の成果主義は正しい成果主義とはいえない。けれども、この正しくない成果主義は経営者にとっては極めて有利な仕組みといえる」と指摘する。それは次の理由からである。

日本において、成果主義が導入されたのは、賃金引き下げの手段としての要素が強かった。経営が悪化した企業は人件費の削減を望んでいた。しかし、給与を引き下げるのは難しい。場合によっては、経営をそこまで悪化させた責任を、経営者は追及されることになる。けれども、成果主義の下で給与が下がるのは、経営者が無能だからではなく、給与を下げられた人が無能だからということになる。責任転嫁のシステムとして、成果主義は優れているといえる。

 「結局、日本でもアメリカでも、成果主義はその導入者の利益を守るために行われた」という。私もそう考える一人である。

 著者が次に問題にしているのは「成果の測り方」である。仕事には数値による評価が容易なものと難しいものがある。営業の世界は数値化できるからわかりやすい。しかし総務や人事の世界は数値化できない。成果主義や目標管理制度はこうした意味のない世界でも導入されている。

 3つ目に、もっと問題なのは、「創造性」を必要とする仕事である。著者は、「『アメとムチ』方式が機能するのは、ルーティン化された仕事であることは、よく知られている。しかし、創造的な仕事はルーティン化できない(ルーティン化できたら、それは創造的な仕事ではない)。こうした仕事にとって、重要なのは内発的な動機づけであって、『アメとムチ』ではない」と述べている(154頁)。事例として、著者はソニーが経営改革を行った結果、かつてのウォークマンのような画期的な製品が生まれなくなったのは、理論通りだと指摘している。

 4つ目は、「成果を一元的な物差しで測れないということで、評価の軸を数多く設定しようという努力も生まれている。これがさらに事態を悪化させる」と指摘している。

私は上述の3つのことにも賛同している。そして最も賛同するのは、「八○対二〇の法則」である。その法則とは、「重要な二割の仕事をやれば、全体の八割を達成できたのと同じということである。このように仕事には重要なものとそうでないものがある」ということである。わかりやすくいうと、「仕事が五つあった時に、大事な一つを完成させるほうがより重要だということはしばしばあろう。しかし、評価の軸を数多くすると、一つの重要な仕事で100点をとったとしても、他がゼロ点であれば、全体としての評価が下がる。逆に些末でも100点を取りやすい仕事があれば、そちらが優先されることにもなりかねない」(155頁)ということである。
そもそも。企業でも個人でも、成功する者はすべての分野で優れているわけではないし、失敗している者がすべてにおいて劣っているわけではない。
「企業の戦略とは何をするかと同時に何をしないのかを決めること」なのである。

私は、この最後の文章を経営者は肝に銘じるべきだと考える。私が見る限りでも「成果主義」を追及して良かったことは思い当たらない。また、「企業」をそのまま「人間」や「個人」と置き換えて考えてみても同じであろう。人間には、職場においては多くの業務が課せられる。家庭においても、何の責任ももたない人はいないことははっきりしている。職場でも家庭でもそのほかのことでも、「何をするかと同時に何をしないかを決めること」は、大変重要なことであると改めて考えさせられた。
(2014年10月24日 ブログ掲載)
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