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平野国美『看取りの医者』小学館文庫552、2011年11月

「私は医者である。が、白衣は着ない。いつもラフな私服で診療する。訪問診療もすべて私服でしている。もちろん、白衣を着ないからといって偽医者ではない」
このような書き出しではじまる本書には、終末期医療の訪問医が見届けた感動の実話9編が書き綴られている。630例を超える死を看取ってきた訪問専門の医師が、中でも心に残った9例について語られている。数多くの「看取り」を続けてきた医師が問う「人にとって最もふさわしい最期の場所とは」が、本書の「問い」(テーマ)である。
著者は、1964年茨城県生まれ。筑波大学を卒業後、筑波大学付属病院や県内の病院で地域医療に携わってきた。その後、訪問診療専門クリニックをつくば市で開業した。現在「ホームオン・クリニックつくば」院長でもある。
開業医ではあるが、著者の医院を訪ねてくる患者さんはほとんどいない。なぜなら著者は訪問診療専門の医師だからである。患者には末期ガンや脳梗塞を患う人が多く、これまで何百人も患者の自宅で看取ってきた。その過程で、悩みながら、涙ぐみながらも、切なくも感動的な家族の形を知った。
慣れ親しんだ自宅で家族に「ありがとう」といって亡くなっていく人々の話は感動的だが、介護している人の負担の重さ、必ず浮上してくる金銭問題も無視できない。自分だったらどこでどんなふうに最期を迎えたいか、考えずにはいられない。
著者は、2004年、その診療活動がラジオで紹介されたのを機に、訪問医療に関する講演依頼を多く受けるようになった。昨年(2011年)冬には、女優の大竹しのぶさんが主演し、テレビドラマ化されたことでも有名である。
私には、かなり興味深い内容なので、簡潔に内容を紹介したいと思う。

***************************************

第一話 核家族の老後

「私が近所まで買い物に行ったせいで、こんなに苦しむなんて……お父さん、私を思いきり叩いて!」。根本さんの妻・宏子さんは片時も夫のそばから離れなかったが、ほんの一時間、買い物に外出したことで事態は急変した」。根本洋一さんは脳梗塞で、享年76歳で逝去した。

サービス7割、医療3割
著者は、「在宅医療(訪問診療)の仕事は、私の実感からすれば、『サービス七割、医療三割』であろう。つまり、サービスのほうが医療の二倍以上の比重を占めているといっても過言ではない」と言い切っている。実に面白い考え方であると私には思われた。
具体的にサービスの中身は何かというと、それは「対話」である。対話にはいろいろな役割があるという。
「第一に、家庭の事情を把握することである」。家族構成や個々の家族(子供たちや親戚など)がどこでどんな仕事をしているか、介護の手伝いができる状態なのかどうか、それらを知ることは在宅医療にとって決定的に重要な情報だからである。
「第二に、家族の死生観、とくに自宅での看取りに肯定的か否かを事前に知っておくことも対話の役割である」。例えば患者さんの死期が近づいたときに、家庭で看取るか、それとも病院に搬送し。延命治療を受けさせるかなどは、事前に把握しておかなければならない。いざとなってからでは混乱するばかりだからである。
「第三に、患者さんの家庭の経済事情も知っておく必要がある」。もちろん、経済的に貧しいからといって、助かる医療を諦めさせるわけではない。もし必要ならば、生活保護や医療保護があることを教え、場合によっては手続きも手伝ってあげるためである。そうすれば、諦めずに必要な医療を受けさせることができるからである。
「第四に、介護家族の精神的なケアという役割もある」。患者さんが高齢の場合、介護者も高齢のことが多い。介護家族の精神的・肉体的負担は大きい。対話にはその負担を軽減する力がある。余計な不安を取り除いたり、介護についてアドバイスしたりすることで、介護者の必要外の努力や疲労を省いてやることができる。また、対話を通じて、介護家族が先に倒れてしまう悲劇を未然に察知し、予防することもできる。
そのほか、対話を通じて、夫婦のなれそめや昔話を聞いているうちに、それが治療方針の参考になることもあるし、介護者自身にとっては誇りや励みになることも多い。「介護者を決して孤独にしてはならないのだ」。「介護者に『あなたはけっして孤独ではない』というメッセージを送りつづけることが必要なのだ」と著者は強く主張する。まったく同感である。

病診連携
こういう対話は、医師が(精神的に)一段高いところから見下ろすような位置で話をすると成立しない。一種のサービス業のような、あるいは「同志」のような、その意味では「対等」な立場で、雑談混じりに話し合うと「本音」が聞けることは、私(著者)の経験が示すところである。白衣ではなく普段の診療も、いくぶんかはそれに役立っているかもしれない(もちろん医療という専門分野においては「対等」でないことはいうまでもないが)。
私が著者から学んだのは、病診連携の実際である。この第一話は、ホームドクターや在宅医医療が普及すれば、病院も軽症の患者さんから解放されるわけだから、在宅医医療と上手に連携することで、ベッドにも余裕ができるはずである。「実際、わがクリニックと提携している病院では、そんな役割分担が理解され、連携行動がスムーズにいっている。「病院」と在宅医療の「診療所」との間での「病診連携」である。
著者は、「こうした連携が将来、医療の需要と供給を調整するもの」と信じている。

第二話 呆けたふりをする老母

介護する実の娘と口論が絶えない高齢の母親。そんな母が上手に呆けるのは生活の知恵なのだろうか? 菊川ケイさんは脳梗塞で、年92歳で逝去した。

呆けたふり
「老いては子に従え、というでしょう。でも、私も娘もこういう性格だから、すぐに衝突するの。それじゃ、うまくいかないから、呆けたふりをするのよ。実際、体が弱ってるし自分一人じゃ立てないし、頭もだいぶ耄碌してるしね。だから衝突したときに私が呆けたふりをしたら。そのときは娘も口げんかを諦めるから都合がいいのよ。ときには娘が優しくしてくれるしね」
 ふーん、どうやら本当らしいと思いながらも、やはり驚きは隠せない。
 「内緒にしてね」とケイさんはいたずらっぽい笑顔で私に念を押した。
私はまだ半信半疑だったので「ははは」と笑いでごまかすしかなかった。
たしかに今の言葉は、理路整然としているようにみえるが、この年齢での認知症は、正常時と発症時が交互にあらわれるから、本当に呆けたとしか思えない場合もあるのだ。
私は、ケイさんの「呆けはウソ」という発言を「自分はまだまだ正気」という「やる気」のあらわれと解釈することにした。正気を維持しよう(維持したい)という気力は、生きる気力のあらわれでもあるから、否定すべきことではない。

五月の鯉の吹き流し
 ケイさんと好子さんは似たもの母子で、何か一言でも相手に突っ込みを入れないと気がすまない性格だ。それが口論の原因になるのだが、習慣だからやめられない。というより、それが自然なことだと思っているフシがある。案の定、ケイさんが娘の言葉に応戦した。
 実の母子のいいところで、口げんかはしても尾を引かない。二人の性格でもあるのだろうか、「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し、口先ばかりで腸はなし」みたいなもので、口は悪くても腹の中には何も残っていないのだ。その証拠に、口げんかのあとでも夕食になると、食卓には母親の好物の晩酌が必ず用意される。それを二人でちびりちびりとやりながら食事を楽しむのだ。

花道と泥道
自宅で看取りたいという好子さんの意思は再三確認していた。
実際、92歳の老人に激しい延命治療をほどこすことは、死にゆく人への冒涜とさえ思われる。自然に、静かに、人生の大団円(すべてがめでたく収まる結末)を迎えようとする人を、無理やり最後のステージから引きずり降ろし、花道ではなく泥道につれていくようなイメージが私にはある。本人やご家族がどうしても延命治療を、と希望するのであれば、それはしかたがないことではある。が、そうでないかぎり、こちらから勧めることはない。

第三話 在宅死を拒否する人々

奥山セツさんは胃がんで、享年82歳で逝去した。「金はいくらかかってもいい。一分一秒でも長く母を生かしておいてくれ。それが医者の務めだろうが!」。
奥山さんの息子は中小企業の社長で、母親の在宅死を拒否し、延命治療を主張する。一見、私には当然かと思われたこの行動には、実は大きな裏話が隠されていることになる話で、大変興味深いし、同じ経験を私もしている。

痛みからの解放
まず学んだところを記述する。まず、「麻薬性の貼り薬」の話である。貼り薬というのは、「麻薬性パップ剤」のことである。モルヒネの座薬もあるが、座薬は即効性があり、貼り薬は持続性がある。パップ剤の場合、ほぼ三日間(72時間)は効果が持続するので、適宜、貼り替えてあげれば、患者さんはガン特有の痛みから解放される。ただし、吐き気や便秘、人によっては意識混濁の副作用もある。吐き気を防止するためには制吐剤も同時に処方する。
著者は、「この合成麻薬の貼り薬ができたおかげで、在宅医療関係者はずいぶん助かっている。それまで病院でなければ的確なペイン・コントロール(疼痛管理)ができなかったものが、在宅医療でも可能なったからである」と指摘する。疼痛管理のためだけに窮屈な入院生活を強いられていた患者さんたちは、自宅でくつろいだ気分で緩和ケアが受けられるとうになったため、QOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)が格段に向上したのである。
とくに人生の最期を自宅で迎えたいというガンの患者さんには、これは非常に有効な療法ともなっている。
当然だと思うが、胃ガンの場合には「胃瘻造設はできない」ということである。点滴での栄養補給より胃瘻のほうが生理的には適している。しかし、胃がんの場合、胃瘻造設は不適応とされている。
セツさんは、胃瘻造設もできずに、病院に入院しているわけにもいかず、病状急変の度に長男の一言で2度も入退院を繰り返すことになった。著者は、「これから『責め苦』のような延命治療を受けさせられるセツさんが不憫であった。もう意識がないから、苦しいという自覚はないかもしれない。けれども延命治療後の患者さんの死に顔には、例外なく苦痛がにじみ出ている。死臭も強い。自宅で自然に息を引き取った患者さんが安らかな死に顔で、ほとんど死臭を感じないのとは対照的である。おそらく意識はなくとも体は苦痛に耐えられないのではないかと思う」と述べている。
以上の、第三話の、話の中心はここからである。「隠されていた母の逝去」の小見出しで始まる話は興味深い。「なぜ長男は執拗に母親を延命させなければならなかったのか」の話である。

延命治療の理由は遺産相続
セツさんには結婚前の独身時代に別の男性との間にできた子供がいた。男性はセツさんの妊娠後、姿をくらまし、杳(よう:事情がはっきせずに)として行方が知れなくなってしまった。まだ戦後の混乱期だったので、相手の男性を捜す手立てもなかった。
セツさんが産んだ男の子は、生後すぐに養子となって関西の親戚にもらわれた。それから数年後に、セツさんは深山さんと結婚した。この結婚で生まれたのが、奥山長一郎さんらの3人の子供たちである。つまり、三人兄弟には「父親違いの兄」がいることになる。これが長一郎さんにとっては大問題であった。もし今すぐセツさんが亡くなれば、セツさん名義の土地建物を銀行の担保に入れる作業が中断され、遺産相続の手続きが終わらないかぎり、銀行は土地建物を担保として受け入れないだろう。
しかし、相続となると、たとえ赤ん坊のときに養子となって外に出た子でも、相続権が発生するため、この「見たこともない兄」を捜して相続権を放棄してもらうか、または相手が放棄しないと言えば、その兄を含めた四人兄弟で遺産を分割することになる。
遺産分割はトラブルが多いが、仮にスムーズに分割したとしても、農地を切り売りするわけにはいかないから、結局、当座は四人の共有という形でするしかない。そうなると、四人が合意しないかぎり、銀行融資の担保にはできないことになる。それでは長一郎さんが困る。「見知らぬ他人同然の兄」が担保提供に同意するとはとうてい思えないからだ。
このような事情から、仕方なく二男も二男の妻も呆然として言葉もでずに、長男に従うしかなかったというのである。長一郎さんが延命治療を主張した背景にはこのような裏事情があった。
このような事情はテレビ番組でもよくでてくるストーリーである。しかし著者は、「欲得ずくに話はないか」と憤る。そして、「一分でも一秒でも長く母を生かしておいてほしい。それが家族の情というもんだ。そうするのが医者の務めだろうが!」と怒鳴った長一郎さんの言葉がしらじらしい。しかし、「結局は、母親の最後の望みである『自宅で死ぬこと』よりも、経済的利益を優先する長男の判断に従ったことは間違いない。誰もそれを非難することはできないが、一抹の寂しさを感じるのは私だけではあるまい」と述べる。

私の経験
私は、土地の売却で同じ経験をしたことがある。祖母が死んだあと、子どもがいることがわかった。戦後のどさくさで探すことができなかった「まさに見たことも聞いたこともない」人から、遺産相続権を放棄してもらった。
私の場合は、祖母が死んだあとにわかったことだが、第三話の物語の文脈からすると、生前となると延命措置もやむを得ないのではないかとさえ思われる。

第四話 さまよう入院患者

「夫の手も握れないような、こんな理不尽な仕打ちをされるために、嫌がる夫と泣きながら病院に戻ってきたわけじゃありません」。田中博さんは、肝臓がんで、享年64歳で逝去する。

新米医師は「ジュニアレジデント」と呼ばれる。これは、駆け出しの研修医を指す言葉だ。ジュニアレジデントは、「オーベン」と呼ばれる先輩医師の指導を受ける。「オーベン」とは「指導医」のことだ。オーベンになってくれるのは、「チーフレジデント」と呼ばれる5、6年目の研修医である。
「それは、私が医師免許を取り、研修医として大学病院に勤務しはじめてから3カ月目のことだった。この初めての患者さんの死は、今も忘れることができない」。

アンモニア脳症
田中さんは不穏の症状で院内を徘徊したり暴れたりした。肝臓ガンの末期症状で、アンモニア脳症が出たためである。アンモニア脳症は肝硬変でも生じるが、要するに、体内の解毒作用を一手に引き受けている肝臓が機能を失うと、肝臓でアンモニアが分解されず、その一部が血流に乗って、脳に流れ込むのである。その結果、アンモニア脳症が引き起こされることになる。
最初、日時や時間の感覚が狂い始め、場所の感覚も失ってしまう。自宅にいた場合、台所でおしっこをしてしまうという事態も起こる。トイレとの違いが分からなくなるのである。幻覚も生じる。その後、意識レベルがだんだん低下してくる。
肝臓がガン細胞によって制圧され、肝機能が回復しない以上、これは手の施しようのない事態なのである。「体内の化学工場」と呼ばれる肝臓は、体内の化学変化をほとんど一手に引き受けており、肝臓内では何千、何万の化学変化が処理されている。だから、肝細胞が次々と破壊されている状態では、その化学処理を薬剤その他で代替することは不可能なのである。薬剤もまた肝臓で処理されるからである。
田中さんの場合も、不穏で暴れて以来、病態が次第に進行していた。

戦場と化した病室
回診中に、突然、田中さんの呼吸と心臓が停止したのだ。ガンの進行による多臓器不全の状態であった。
「一瞬にして病室は戦場となった。
 懸命の延命処置が繰り返されたのである。心肺停止した患者さんに対して激しい蘇生術が加えられる。とても家族には見せられない場面だ。その間、私は先輩医師たちの邪魔にならぬよう、壁にへばりついているしかなかった。主治医でありながら、治療に参加できぬ己の無力さをこれほど感じたことはない。それは長い長い一時間だった。この果敢な延命処置によって田中さんの一命は取り止められた。
田中さんには人工呼吸器が取り付けられ、体には何本もの点滴ラインに取り込まれている」。
「ほっと胸を撫で下ろした。助かったのだ、とふたたび自分に言い聞かせながら」
「瞳孔にペンライトの明かりを当ててみる。やはり、瞳孔の反射はなかった。これは限りなく脳死に近い状態だと悟った」
「無理もない。心肺停止していたのだ。当然、脳にダメージは起きただろう。今や田中さんは、生きているというよりも、無理やり生かされている状態なのである。これが延命治療なのだ」
「田中さんにとっていちばん大切な奥さんは、この一時間を部屋の外で、夫から隔離されていたのである。夫に触れることも、見ることも許されなかったのだ」
「部屋の中に入った瞬間、挿管だらけの夫の姿を見て、奥さんは凍りついたのだった・・・・」
奥さんには、ホースやら管やらが入っていて、とても近寄れない。「触ったりすると、何か、してはいけないことをしてしまうんじゃないかと思って、怖くて手も握れません。どこまでなら、していいの? 教えてください。なんか、生きているといっても、主人が不憫で・・・・」
奥さんの怒りは主治医の私に向けられている。

ステルベン
「ステルベンは初めてなのか? 分かった。臨終の告知は俺が教えるとおりにやるんだぜ。でもその前に心肺蘇生(延命処置)もやるからな」
指導医の吉川先生が奥さんに言った。
「すみませんが、部屋の外でお待ちください」
その直後に、患者さんの背中に板が入れられ、心臓マッサージも準備ができた。
「ボスミンI V(I Vとは静脈内へ注射すること)」
「はい」
そこから、吉川先生の激しい心臓マッサージが始まった。患者さんに馬乗りになり、両手で心臓を圧迫するのである。
腕力で胸を押す蘇生術だから、一人で長時間は無理である。指導医から私に交代した。患者さんの体はもろくなっているが、心臓を蘇生させるには強い圧迫が欠かせない。患者さんの肋骨が折れる感覚が伝わる。肺が傷ついたのか、気道から出血が見られる。
かれこれ一時間近くこの作業を繰り返し、個室はあの心肺停止日以来の修羅場となった。汗が噴き出る。しかし一週間前と違って、もう田中さんの心臓が動くことはなかった。
指導医の吉川先生が言う。
「もう、いいだろう。ご家族を中に入れて」
「この一時間で、また田中さんの容貌は変化した。意識がなくても、心肺蘇生術は患者さんに大きな苦痛を与えているに違いない。奥さんも夫の顔を見て、言葉を失っている」。
私たちが部屋を後にした瞬間、室内から、奥さんの泣き声が聞こえてきた。
「・・・・これが、死というものか」。
「正直、疲れた。しかし、これが病院における死なのだ、と思った。いや、思ったというより、体で理解した、といった方が正しいかもしれない」
「この仕事を辞めないかぎり、これから何度も、この場面に出くわすことになるだろう。いったい、これを何度経験すればいいのだろうか。この名状(物事のありさまを言葉で表現すること)しがたい空しさを。
田中さんが亡くなった今、私は敗北感と無力感につつまれている。私は医者として、何ができるのか? こういう医療でいいのか? 何か、割り切れぬ感情がつきまとう。
しかし、当時の私は、それを批判するだけの経験も知識もなかった。いや、今だって、経験は数多く重ねたものの、一家言(その人独特の意見や主張)をなすだけの見識があるとは思っていない」
「私がのちに高齢者や終末期患者の在宅医療に特化したホームドクターになった背景には、たしかにこの初めての『患者さんの死』がある。それに対する疑問がある」

第五話 自宅で死ぬということ

桑田淳二さん。肺気腫・腎不全で、享年81歳で逝去。

在宅医療の成否を決めるもの
「どんなに在宅死を願っていても、治療して良くなる可能性があるうちは、みすみす死なせるわけにはいかない。ということは、急激な悪化の兆しがみえたら、設備のととのった病院に再入院させなければならないということだ。しかし、そのまま退院できずに亡くなる場合もあり得る。それでは患者さんの願いは達成できないことになる。だから、在宅医療で病状を安定させる。できれば老衰のように自然な衰えによって臨終を迎える、というのがいちばん望ましい形だろう」
「在宅医療や在宅死の希望を叶えるには、いくつかの条件をクリアしなければならない。そのひとつが介護の問題だ」
「老人の在宅医療の場合、介護をする家族も高齢である場合が多い。息子の嫁が介護の主役になる場合もあるが、それでも中年である。あまり無理は利かない。よしんば若いお嫁さんであったとしても、介護者の心身の疲労は大変なものだ。だから医師は、在宅医療では、家庭内介護者のケアにも十分な注意を払わなければならない。介護する人が過労や病気で倒れてしまったら、在宅医療は不可能になるからである」
「在宅医療は、医師による訪問診療、看護師による訪問看護、ヘルパーによる訪問介護、そして家族による日常的な介護によって成り立つ」
「在宅医療を成功裏に運ぶためには、医師が患者さんの経過を正確に把握し、病状の回復や悪化の程度を適切に判断し、それに応じた投薬や検査などをおこなう必要がある。と同時に、看護師やヘルパーなどに適切な指示を与え、相互に連絡を密にして、連携プレーで在宅医療の効果を高める努力が必要である。もちろん、最新医療機器による検査が必要と判断した場合には、提携する病院に患者さんを検査入院させることも必要になる」
「こうした、一診療所(開業医)にとどまらない幅広い提携関係を維持・活用することが、在宅医療の成否を決めるといっても過言ではない。医師が自分の診療所の利益だけを考えて、患者さんを『囲い込む』などという愚かな行為は、場合によっては患者さんの声明を損なう結果にもなりかねない。心すべき点である」

妻の骨折と在宅医療の破綻
そして、もうひとつ重要なのは、介護家族の心身のケアである。この時期に妻が入院したら夫の在宅医医療は破綻する。
週のうち5日間は、医師、看護師、ヘルパーが来てくれるが、介護ヘルパーは日中だけである。夜はすべて妻が夫の介護をしなければならない。この時期、夫は意識こそしっかりしていたものの、寝たきりで酸素吸入をつづけており、食事の世話や大小便などの処理は妻に頼らざるを得ない状態だった。しかも年々、体力が衰えている。全体としてみると、徐々に死が迫ってきているのは明らかだった。万一、この時期に妻が入院したら、夫の在宅医医療は破綻する。
「お母さんが膝を打って骨折したらしい。すぐに来てくれ」
見かねた夫が、息子に電話をした。
ミチさんは夫の今後が気になって、自分のケガの処置をどうしたらいいか、判断に迷っていた。しかし、淳二さんは淳二さんで、妻のケガの状態が心配で、とにかく早く医者に診せたいと、息子に相談する。
うるわしい夫婦愛だが、しかし、これは在宅医療の脆さを象徴する話である。家庭内の介護者にこんな事故が生じたら、在宅医療はすぐさま困難に直面するのだ。
はたして、ミチさんは膝を骨折していた。
結局、ミチさんは介護事業所のケアマネジャーと相談して、夫の淳二さんをショートステイで受け入れてくれる病院付属の滞在施設で預かってもらうことにした。私(著者)もそれを勧めた。介護家族のいない在宅医療など不可能だからである。
淳二さんが入所したのは2002年の11月21日だった。そして手術の必要なミチさんは、その翌日の22日に、同じ病院の病棟に入院した。同じ敷地内に病棟と滞在施設に、妻と夫がそれぞれ入ったわけである。
しかし、このとき、淳二さんに異変が生じていた。
環境が急激に変わったことや妻の容態への心配が、夫の精神を直撃していた。しかも滞在施設内で無理をして、一人でトイレに行こうとして転倒してしまったという。それらが原因で、淳二さんに軽い意識障害があらわれたのだ。そのうえ、腎不全に陥った。
淳二さんをショートステイから病院へ移すよう手配し、病院に急いだ。
病室に駆けつけてみると、淳二さんはいわゆる奇異反応のひとつ「不穏」の状態であった。興奮状態でワーワーとわけの分からないことを口走り、焦点の定まらない目をしている。
向精神薬の投与によってこうした症状があらわれる場合もあるが、桑田さんにそのような薬剤は投与されていない。これは環境変化した精神的不安に対する混沌と抵抗感が高じた結果、出てきた症状ではないかと思われた。

延命治療を捨てるという宣言
「桑田さんには、もはや小さな手術に耐えるだけの体力も残されていないと思います。桑田さんの腎臓が改善する見込みはありますか?」
「ない」
先輩医師は断言した。そして、こう付け加えた。
「正直なところ、年齢や全身状態を考慮すれば、透析をしても、現状維持というより徐々に衰弱することは目に見えている。もちろん、透析しない場合に比べれば、多少は寿命は延びるかもしれないが……しかし、きみも分かっているとおり、もともと余命数カ月といった状態だろう。いずれ近いうちに最期のときがくることは間違いない」
「やはり……先生も、そう思いますか」
それは医師ならば誰でも分かる状態だった。

私は桑田さんの希望を、率直に担当医に説明した。
「桑田さんは病院での死を望んでいません。ご本人も奥さんも、日ごろから、自宅で死にたいと話し合っていました。このまま透析を続ければ、入院したまま帰宅できなくなる可能性が大きいでしょう。おそらく、死ぬまで退院することはできないでしょう?」
「おそらく、とうより、間違いなく、といっていいね」
「しかし、それは桑田さんの本望じゃないんです」
うーん、と先輩は唸った。そして口を開いた。
「しかしね、われわれ医者としては、患者さんの寿命を縮めるような真似はできないじゃないか。延命できるかぎりは延命措置をとるのが医者の義務だろう」
私も、従来ならば、それが当然と考えていた。
しかし、桑田さんの強い意思が、私の固定観念を揺るがしていた。
先輩医師から、「医者の義務」という言葉を聞いたとき、私は人生の終末期を迎えつつある桑田さんの代わりに、医者の立場からではなく患者の立場から、在宅死の希望を強く伝えなければならないように感じた。
「でもね、先生!桑田さんは病院のベッドにつながれたまま、意識もなく数日か数週間だけ余命を伸ばすよりは、自宅で家族に囲まれながら死ぬことを希望しているんです。いや、そう決断したんです。われわれ医者は、患者さんが自分の人生の始末をこうつけたいと下した自己決定を、勝手にくつがえす権利があるんでしょうか?」
私の強い口調に、先輩医師は腕組みをして黙りこくった。
「うーむ…」
一方、私は桑田さんの代弁をしただけのはずなのに、心はいつしか桑田さんの考えに賛同する方向へと急傾斜していた。医者の発想から、患者の発想へと大きく重心が移動したのだ。そしてそれは、桑田さんの考えのほうが正しい、という確信へと変わっていった。
野生の猫でさえ、自分に死期を悟ったら、いつともなしに姿を消してゆくではないか。自分で自分の始末をつけるのだ。
医者という専門職が存在していなかった太古の昔には、人間は、やはり自分の死期を悟ったら、他人にすがってやみくもに延命を願うより、静かに死の訪れを待ったのではなかろうか? 家族や友人に別れを告げ、悔いのない人生をまっとうしようと努めたのではなかろうか? そう思えてきた。

医者の医療から終末期患者のための医療へ
私はもう、誰がなんと言おうと淳二さんとミチさんの味方にならなくてはいけないと感じていた。ホームドクターである私がお二人の意を汲んであげなければ、誰がこの夫婦の希望を叶えてあげられるだろうか。
私は腎臓担当の先輩医師に懇願した。
「先生、桑田さんの症状が落ち着いたら、いったん自宅に帰してあげてもいいでしょうか? それが桑田さんに今、いちばん必要なことだと思うんです」
「でも、奥さんは骨折で入院中と聞いたけど」
「ええ。ですから、奥さんの回復の時期に合わせて、ということです」
「では、透析は、そこまでで打ち切る、と?」
「そうです。それ以上、透析をつづけることは、桑田さんに『病院で死ね』と言うことと同じです。それは桑田さんの決断を踏みにじることです」
桑田さんの決断は、今や私の決断でもあった。
この決断を下したとき、私は初めて、死を敗北と見なす「医者のための医療」から、死を充実した生の締めくくりとする「終末期患者のための医療」へと一歩、踏み出したのである。傍目にはわずかな一歩であろうが、この一歩は、医者にとって、目もくらむような深い淵を飛び越える一歩だった。

ナルコーシス
2002年の暮れも押し詰まった12月29日、どうしても自宅で正月を迎えたいという淳二さんの希望を入れて、退院が許可された。そのときの桑田さんのうれしそうな表情といったらなかった。
2003年の正月、桑田家には例年のように、ご子息3人とその家族たちが集まって、正月を祝った。
たしかに淳二さんは、入院時とは見違えるように生き生きとした表情になったし、意識障害もみられない。環境の激変や精神的な要因がこれほど症状を悪くしたり、和らげたりするのかと、私も驚いたほどである。
在宅医療に戻って精神的には安定したとはいえ、肺気腫と腎不全が改善したわけではない。実際には、もはや後戻りはできないほど桑田さんの体は衰弱していた。在宅医療でできることは適切な保存療法で病状を悪化させないこと、他の感染症などに注意することなどである。
いよいよ最期のときが近づいたと、私も観念した。あとは、いかに苦しませずに見送るか、である。
「うちのお父さん、苦しむようなことはないかしら。肺気腫だから、呼吸ができなくて苦しみながら死ぬことはないかしら?」
「大丈夫です。苦しまないように処置しています」
苦しい呼吸を楽にしてあげるには、酸素の量をやや多めに与えればよいのである。もちろん許される範囲の話だが。
桑田さんの血液は低酸素血症の状態だから酸素が欠乏しているが、酸素をやや多めに与えると、呼吸が楽になった分だけ呼吸数が減り、二酸化炭素(炭酸ガス)の排出量も減る。すると体内に二酸化炭素が溜まり、ちょうど天然の麻酔がかかったような状態になる。これをナルコーシスというが、本人は夢見心地で気持ちのいい状態である。これで苦しむことはない。あえて他の薬剤を投与する必要もないのである。
淳二さんの体は、注射針の穴ひとつない、きれいな遺体だった。
桑田さんは痛みも苦しみも感じることなく、家族や友人に囲まれながら、ブラームスの言葉のようにこの世を立ち去っていったのである。
桑田さんがあの世へ向けて静かに一歩を踏み出したように、私も医者の立場から見た終末期医療ではなく、患者の立場からみた終末期医療へと一歩だけ踏み出すことができた。桑田さんと奥さんのおかげである。

第六話 無手勝流の開業医

当時4歳の著者・平野国美氏の体験。母は、死線をさまよう息子の在宅医療を、必死で、開業医の先生にお願いした。その結果、みごと死から脱出できた。

最近、国民医療費の増大を抑制するため、財政的な観点から在宅医療を推進するという方向性が打ち出されているが、もしそれが入院治療の必要な患者さんを病院から無理やり在宅医療へ追いやる結果をもたらすとしたら、本末転倒だろう(p.162)。
国民を病気の苦しみから解放するため、また健康回復と健康増進のためにこそ、医療政策は決められるべきであって、医療政策が「弱者切り捨て」になってはなるまい。在宅医療・訪問診療は、それが必要な人々のためにこそ活用されるべきだと思う。間違っても弱者切り捨ての方便に利用されるべきではない。
私もまったく同感である。

第七話「女子中学生の一言」

大崎真造さんは、脳梗塞、胃がんで享年86歳で逝去。

在宅ホスピス
ホスピスとは、ターミナル・ケア(終末期医療)の代表的な形で、病院などに付属する施設として普及したケースが多い。ホスピスのおもな仕事は、病気を治すというより、もはや回復不可能な末期の患者さんの身体的苦痛を軽減し、残された時間を充実して生きられるようの補助することである。患者さん本人やご家族が、心静かに死に臨む準備をする意味もある。
痛みの緩和ケア(身体的苦痛の軽減)が在宅でも可能になったため、病院(ホスピス)よりリラックスできて、より良いQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)が実現できる在宅での終末期医療が可能になった。経済的負担もホスピスよりはずっと軽い。だから、昔のように安心して「自宅で死ぬこと」ができるようになったのである。終末期の在宅医療は、今や「在宅ホスピス」といっても過言ではない(p.179)。

女子中学生の一言
「お父さんは間違ってると思う。お金が惜しいから入院させたくないんじゃない。お父さんはお金のことばかり言ってるけど、それは間違ってる。私もおじいちゃんを入院させたくない。でも、お金の問題じゃない。この家でおじいちゃんと一緒に暮らしたい。きっと、おじいちゃんもそう思ってる。お金が惜しいんじゃなくて、おじいちゃんがこの家からいなくなるのが嫌なのよ、私は。だから、私がここで面倒みたっていい」

私たちは高度成長期以降、日常生活の中から「死を放逐」してきた。「親族の死」すらも病院に押し付けて、自分たちが「死につつある人」と生活することを拒否してきた。いや、忌避してきたといってよい。
私たちの祖先は常に死を自覚することで、日本の文化を築いてきた。その文化が崩壊しつつある。弱者への思いやりが崩壊しつつある。
自宅で死を看取るということは、そういう文化の基礎を取り戻すことにつながるはずだ、と私は思う。

第八話 新しい形の「終の棲家」

「家族に面倒みてもらえる人ばかりじゃないでしょ。だから、このアパートでは独居老人でも亡くなるまで私たちがお世話するのよ」
95歳の老人のおしめを取り替えながら、高齢者集合住宅の女性オーナー社長は微笑んで、さらりと言い放った。
岡田美智子さんは、高齢者住宅オーナー兼ヘルパー会社社長である。

どこで死ぬか?
では、私たちはどこで死ねばいいのか? 病院なのだろうか?
たしかに、死の直前になって救急車で病院に運ばれ、延命治療の果てに、結局、そのまま病院で死ぬというケースもあるだろう。
しかしそれは、最近では、まだ幸運なほうである。実は、病院で死ぬことも難しくなりつつあるのだ。
政府・厚生労働省の国民医療費抑制策から、病院が長期入院を断るケースが当たり前になってきた。生活習慣病などの慢性期の患者さんが三カ月以上滞在すると病院は赤字になってしまうシステムになっているからだ。そうなると、患者さんは病院を転々と替えざるを得ないことになる。それを受け入れてくれる病院があればまだ幸いだが、最近では医師が受け入れを嫌がるケースが増えている。首都圏のある大学病院では、統計上、患者さんの治癒率(生存率)を高め、死亡率を低く抑えるために、余命わずかな(つまり死亡が確実な)患者さんの入院を断ることが、院内の暗黙の了解になっているという。つまり、治りそうな患者さんしか受け入れないわけである。これでは表面上(統計上)は生存率を高めることができても、そんなものは数字の詐術でしかない。肝心の患者さんの苦しみを救うという医療の大前提が崩れている。

行く場のない高齢者
「ガン末期の患者や余命わずかな高齢患者を受け入れると『負け戦』になるからね」
そんな言葉を口にする医師もいる。「負け戦」とは、患者さんが治癒して退院するのではなく、棺桶に入って退院することを意味する。どんな理由にせよ、入院中に患者さんが亡くなれば、生存率が悪くなるから「負け戦」というわけである。
そこには、人間の終末期をいたわるという発想がない。一人ひとりの生命とその尊厳を大切にし、その人生を全うするために最善を尽くすという医道倫理がない。
そんな病院側の都合だけで、患者さんの受け入れを上手に断る医師のほうが、教授など上司から褒められるというのだから、なにをか言わんやである。そんな教授のもとで医療を学んだ若い医師たちが、将来どんな医療をするのかと考えると空恐ろしくなる。

例えば、高齢で認知症が始まった患者さんを、デイサービス施設に押しつけて、あとは放置している家族がいる。デイサービス施設は性質上(法令上)、医師を呼んで利用者の治療行為などをすることはできない日帰り施設なのだが、そういう無理なことまで施設に押しつけようとする家族もいるのである。また、デイサービス施設で親身になって介護をしてくれたヘルパーさんに、初めて、家族から受けている虐待を告白した老人もいる。その人は認知症ではない。施設の風呂場で体を洗ってもらったとき、その男性老人が泣きながら、家族による虐待の事実を訴えたのである。
こうなると、いったい家族とはなんだろうかと思ってしまう。
日本のいたるところで、行政も医療も家庭も、倫理道徳がすたれ、高齢者が安心して暮らせない状況が現出しているような錯覚に陥ってしまう(本当に錯覚であればよいのだが…)。

新しい終末期の過ごし方
なぜ岡田さんは「ぽらりす」を、特別養護老人ホームやグループホームのような行政から補助金などが受けられる介護施設や社会福祉法人にしないのだろうか? 私は疑問に思って、そう質問したことがある。すると、岡田さんはこう答えた。
「そういう施設にすると規則や条件があまりにも多すぎて、入居者の家族や親戚が遠方から訪ねてきても、自由に泊まったり、身の回りの世話をしたり、好物の料理を作ってあげたりということができなくなるでしょう。民間アパートならそんな規則はありませんよね。また、ここなら、可愛がっていた犬や猫と別れる必要もありません。入居者が以前から飼っていた犬や猫を、ここではみんなで可愛がっています。お年寄りに必要なのは、普通の家族と同じような自由なんですよ。介護があっても自由がなければ窮屈でしょう? うまく説明できないけど、普通の生活スタイルを犠牲にした介護施設って、本当に高齢者本人のためになっているのかしら? 私はごく普通の家族みたいな生活を楽しんでもらいたいと思っているんですよ」
実際、この高齢者アパートは、家族共同体のように気ままで自由だ。その生活には、気詰まりな規則らしきものに縛られない、不思議な解放感と安ど感がある。もちろん一般の家族にも、暗黙のルールはあるだろう。ここにもその程度のルールはあるに違いない。しかし、家族と同じように、なんにも遠慮はいらないのである。精神医学的にみて、非常にストレスの低い日常生活が享受できるような、自然なシステムが形成されている、といったら当たっているかもしれない(p.218)。
この「ぽらりす」のような介護付き高齢者住宅が日本中にたくさんあれば、身寄りのない人もある人も、家族の手を煩わせずに「在宅医療」を受けることができ、また最終的には「在宅死」ができることになる。
これは「新しい終末期の過ごし方」を示唆しているのはなかろうか。

第九話 自宅で死のうよ

大量死の時代
日本でもいずれやってくる団塊の世代の「大量死」の時代には、やむなく在宅死を選択せざるを得ない人々が頻出するようになるはずだ。医療施設も介護老人保健施設も「大量死」を受け入れるだけのキャパシティがないからである。
それにそなえて、厚生労働省は在宅医療(ひいては在宅死)を推奨する方向に動いている。国民医療費を削減するために、高齢者や終末期患者の入院を減らすという政策意図があることは確かだろう。また、そうしなければ、病院・診療所のベッド数が大幅に不足することは火を見るよりも明らかだからである。
一方、厚生労働省の政策意図とは別に、高齢者やその予備軍が、在宅死に積極的な意義を認める傾向が出てきたのも事実である。終末期の在宅医療に特化した診療所の患者さんが年々増えてきたことからも、その傾向が推定できるのだ。

“Do Not Resuscitate”
ある病院では、DNRを要望する患者さんが増えており、カルテの最初のページに「DNR」と明記する例が多くなったという。
DNRとは、“Do Not Resuscitate”(蘇生処置をするな)の略語で、「心肺蘇生不要」を意味する。つまり、心肺停止状態になったときに、人工呼吸器を付けて強制的に呼吸させるような処置をしたり、患者さんに馬乗りになって心臓マッサージをしたりしないでほしい、ということなのである。

グリーフ・ケア
終末期の患者・高齢者本人のケアの問題もさることながら、彼らの死後に残された人々の精神的なケアの問題も忘れてはならない。これを「グリーフ・ケア(grief care)」という。
グリーフ(grief)とは、深い悲しみ、悲嘆、心痛などを意味する。家族など、かけのない人を喪った悲しみは、残された人の心を深くえぐる。とくに夫婦の場合はそうだ。人生のパートナーを喪うのだから、その悲しみは深い。グリーフ・ケアとは、その深い悲しみ、心痛を癒すことを意味する。

緩和ケア(ターミナルケア)
病院などの併設されたホスピスは、緩和ケアを中心にした終末期患者のケア施設だが、現在、厚生労働大臣または都道府県知事から認可を受けたホスピスでは、ガン患者とエイズ患者しか入院できない。しかし、人生の終末期を迎えた人々はそれだけではない。緩和ケアを必要とする人々はもっと多い。
緩和ケアとは、WHO(世界保健機関)の定義によれば次のようなケアのことである。これはターミナル(終末期)ケアとほぼ同義と考えてよい。

「緩和ケアとは、治療を目的とした治療に反応しなくなった患者に対する積極的な全人的ケアであり、〔治療よりも〕痛みやその他の症状のコントロール、精神的、社会的、スピリチュアル(霊的)な問題のケアを優先する。緩和ケアの目標は、患者と家族のQOL(生活の質)を高めることにある」

こうした緩和ケアによって、患者さんの残された人生(ふつう数週間~数カ月)を充実したものにすることがホスピスの役割なのである。
そのため、ホスピスでは、特別な修練と経験を積んだ医師をはじめ、看護師、臨床心理士、薬剤師、栄養士などの人々がチームを組んで患者さんとその家族を支援する。ホスピスでは、自宅でくつろぐのと同じ感覚で過ごせるように、食事内容もほとんど制限なく、酒やタバコも許可するケースが多い。家族がホスピスを訪ねて好物の料理を作ってあげることもできるように配慮されている。

在宅ホスピス
つまり、ホスピスで実行していることは、実は擬似的な在宅ケアなのである。
ならば、条件さえととのえば、本来の在宅ケアのほうが末期の患者さんのためには良いに決まっている。在宅のほうがストレスが少なく、QOL(生活の質)もより良く保つことができるだろう。費用も少なくて済む。
とくに心配される痛みや症状のコントロールに関しては、今では入院しなくてもパップ剤(麻薬性の貼り薬)その他の薬剤などによって在宅医療(訪問診療)でも十分に処置できる。だとしたら、「在宅ホスピス」こそが、患者さんと家族にとって理想的な緩和ケアを実現する方法となるに違いない。
ホスピス内でのケアと同様に、在宅ケアでも、在宅医療の経験を積んだ医師・クリニックが中心となって、看護師(訪問看護ステーションから派遣)、介護ヘルパー(介護事業所から派遣)、調剤薬局(患者さん宅へ処方薬を配達)と協力関係を発揮すれば、ホスピス内でおこなわれるチームによる緩和ケアと同じことが実現できる。現に、私のクリニックではこうした関係各所とのコラボレーション(協力)によって在宅医療をスムーズにおこなっている。

地域全体のケア機能のアンサンブル
このコラボレーションの一環に、地域の専門病院や中核病院を加え、より幅広い協力関係を構築すれば、一つの地域全体が「屋根のない大きな病院」という機能を発揮することになるだろう。私自身は曲りなりにも、それに近い形を実現しているので、同じことが他の地域でもできないはずはない、と考えている。
つまり、在宅医療とは、患者とホームドクターとの一対一の関係ではなく、「患者と家族」を中心に置いた地域全体のケア機能のアンサンブル(合奏)なのである。在宅医療が目指すべきは、まさにこのアンサンブルではなかろうか(p.250)。

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「私は医者である。が、白衣は着ない。いつもラフな私服で診療する。訪問診療もすべて私服でしている。もちろん、白衣を着ないからといって偽医者ではない」
このような書き出しではじまる本書は、630例を超える死を看取ってきた訪問専門の医師の心に残った、終末期医療の感動の実話9編が書き綴られている。著者は、年に平均70人、週に1人のペースで患者の死を看取ってきたことになる。
物語は必ず患者が死亡して終わるので暗いイメージでとらえがちだが、読後感はむしろ逆で、現実を受け入れ残された時間を精一杯生きようとする患者の姿に感動さえする。無意味な延命治療を拒否し、住み慣れた家で家族とともに過ごす、在宅死を選択するという、人生に対する前向きな態度に評者も共感する。
 現在の日本では、在宅死は死者全体の1割あまりにすぎず、8割強は病院で死ぬという現実がある。これは死を敗北とみなす医者のための医療と、それにすがりつかざるを得ない患者と家族の多さを物語っている。
どの話も興味深いが、とくに、第五話の「自宅で死ぬこと」は圧巻である。「先生。ぼくは痛い治療や激しい治療をしてまで命を永らえようとは思わないんです。ぼくはね、この家で死にたいんですよ」。桑田さんの在宅死の意思は固い。
先輩の腎臓担当医師は、桑田さんの病状悪化に、「われわれ医者としては、患者さんの命を縮めるような真似はできないじゃないか。延命できるかぎりは延命処置をとるのが医者の義務だろう」と入院を促す。しかし著者は、先輩医師を説き伏せ、自宅で正月を迎えさせるべく桑田さんを退院させる。桑田さんの決断は著者の決断になった。
自宅に帰った桑田さんは、人工透析を拒否し、何度か山を乗り越えた末、子や孫や友人、看護師、ヘルパーが見守る中で、肺気腫・腎不全のため享年81歳で静かに息を引き取った。体には注射針の穴ひとつない奇麗な遺体だった。桑田さんは痛みも苦しみも感じることなく、家族や友人に囲まれながら、この世を去っていったのである。
「桑田さんがあの世へ向けて静かに一歩を踏み出したように、私も医者の立場から見た終末期医療ではなく、患者の立場からみた終末期医療へと一歩だけ踏み出すことができた」。この文脈は、死を充実した生の締めくくりとする「終末期患者のための医療」へと一歩を踏み出した瞬間であったと読み解くことができる。著者はこうして「看取りの医者」になった。
数多くの「看取り」を続けてきた医師が問う「人にとって最もふさわしい最期の場所とは」が、本書の「問い」(テーマ)である。そして第九話の「自宅で死のうよ」がその答えである。患者には末期ガンや脳梗塞を患う人が多く、これまで何百人も患者の自宅で看取ってきた。その過程で、悩みながら、涙ぐみながらも、切なくも感動的な家族の形を知った。
慣れ親しんだ自宅で家族に「ありがとう」といって亡くなっていく人々の話は感動的だが、介護している人の負担の重さ、必ず浮上してくる金銭問題も無視できない。自分だったらどこでどんなふうに最期を迎えたいか、考えずにはいられない。
以上


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