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鈴木亘『財政危機と社会保障』講談社現代新書、2010年9月

本書は、強い社会保障とはいったい何か、それは実現可能な政策なのか?医療や介護、保育産業は本当に成長産業なのか?年金や医療保険、介護保険は将来破綻するのか?民主党の政策で、安心できる社会保障制度は本当に実現できるのか?等々、社会保障制度に関する国民の「素朴な疑問」に答えることを目的として執筆されました。
もう一つの目的は、社会保障の個別分野をひとつずつ解説するのではなく、社会保障を全分野にまたがる共通の問題点を大きな視点から捉えられるようにしたことです。それは社会保障と日本経済、社会保障と財政の関係も明確になるよう執筆されています。
著者は、「強い社会保障」などといって増税分を全て社会保障に回したりすると、近い将来日本が財政危機に陥ることは避けられないと指摘します。その上で「強い社会保障」を批判します。増税しておいて、強い社会保障といっても日本経済は成長しません。
著者は社会保障関係費の抑制を説いた小泉構造改革、及びそれを引き継いだ「骨太方針2006」を絶賛し、麻生内閣の2200億円の抑制方針撤回を批判します。そして、混合診療の解禁を実施すべきだと主張します。それだけでなく、自己負担と保険を組み合わせた「混合介護」という仕組みの導入も提案します。公立保育所、公立の特別養護老人ホームと老人保健施設はすべて民営化(公設民営)を実施すべきだとも述べます。
本書の結論は「社会保障関係費」の削減こそ、本腰を入れて取り組むべき最重要課題だということと、安易な社会保険への公費投入を削減し、国民が正常なコスト意識を取り戻すことこそが、持続可能で安心できる社会保障制度を実現させる鍵だということです。そして、現在の「強い社会保障」や少し前の「中福祉・中負担」などという政策方針は大間違いであると言うために、本書は執筆されました。
評者は、増税で強い社会保障を実現し経済成長を実現できないことには共感しますが、その他については意見が違います。著者のような見解も、現在日本の財政危機下で社会保障をどうすべきか、という一つの見識であろうとは思います。しかし、社会保障とは一体誰のためのものなのか、が問われなければなりません。制度の持続は大事ですが、国民の幸せのために社会保障制度はあるはずです。
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尾木直樹『尾木ママの黙っていられない!』KKベストセラーズ、2011年4月

著者の尾木直樹さんは、「ほんまでっか!?TV」ほか多くのバラエティ番組にも出演中です。やさしい語り口と笑顔から“尾木ママ”の愛称で親しまれています。法政大学キャリアデザイン学部教授・早稲田大学大学院教育学研究科教授で、臨床研究所「虹」所長、教育評論家としても有名です。私立海城高校、東京都公立中学校などの教育現場で22年間にわたりユニークで独創的な教育実践を展開してきました。
 尾木先生は、「どんな子も才能の原石!」だと言います。子どもの才能は、学校のカリキュラムだけでは見つからないかもしれないという意識を持つことで、子どもを見る視線もより多角的なものになって、理解も深まります。ゲームに夢中でお母さんを悩ませている子どもには、人並み外れた集中力や手先の器用さが備わっているかもしれないと言います。
 昨今の教育事情は、学校でも勉強、放課後も塾で勉強といった状況です。学習以外の才能があっても、それに気づくことのできる機会も少なくなっています。勉強ができることはとても大切なことです。しかし勉強だけしか見てもらえなかったら、勉強が不得意な子どもはいったいどんな気持ちになってしまうでしょうか。
 私は本書を読んでいて、ふと自分の子ども時代のことを思い出しました。そういえば勉強ができなくても、走ることが得意な子どもや、みんなの前で毎日の出来事を発表することが得意な子ども、木登りがやたら上手な子どもなど、みんなに一目置かれていた同級生がたくさんいました。
 それが現在では、勉強だけが才能を測る指標となってしまってすごくつまらないし、残念で仕方ありません。人間は一人ひとりみんな違って当たり前です。みんな同じだったら怖い世の中です。本書はそんな素朴なことを気づかせてくれました。

吉岡斉『原発と日本の未来―原子力温暖化対策の切り札か』岩波ブックレット№802、2011年2月

原子力発電は1980年代末から、20年以上にわたる停滞状態を続けていることを、皆さんはご存知でしょうか。2010年1月1日現在の、世界の発電用原子炉総基数は432基で、1年前と変わっていない。これにより90年代に続き2000年代も、世界の総基数は420~430基台を推移することとなった。
70年代から80年代半ばにかけて、原発の新増設ペースは年間20~30基であった。原発の総基数が400基を突破したのは、チェルノブイリ3号機事故の翌年の87年であり、その翌88年には420基台に到達した。しかしその後は横ばい状態が続いている。世界で年間数基が廃炉となる一方で、数基が新設されるため、総基数は横ばいが20年以上も続いているのである。ただし新しい原子炉ほど大型となる傾向があるため、総設備容量は長期的傾向としては微増を続けている。2010年1月1日現在の総設備容量は3億8,915万キロワットである。
さて、これまで年間20~30基ペースで建設されてきた原発は、当然寿命が終われば年間20~30基ペースで廃止が進んでいくのである。そして今回の福島原発事故を考えれば、省エネルギーや再生可能エネルギーなどの普及が進み、そして原子力を火力でリプレイスするケースも含め、リプレイス全体の規模は小さくなると思われる。原子力発電の拡大シナリオなどは、まさに非現実的であると著者は指摘する。
菅首相が派手なパフォーマンスでアジア諸国に売り込みをかけていたのを思い出すが、事実は上述したとおりである。
今日の原子力政策の特徴は、政府の手厚い指導・支援措置によって電力産業界の原子力発電事業を支え、その経営リスクを軽減し、それによって原子力発電規模の堅持と核燃料再処理路線に必要なバックエンド事業の整備を進めることを、主要課題としてしていることである。原子力発電が本質的にハイリスク事業であることを考慮すると、電力業界の経営リスク軽減は、国民が高いリスクを肩代わりすることを意味する。したがって国民は主権者・納税者・消費者として、これに無関心では済まされないというのが、著者の主張である。
 もう一つ、評者が強調したい点は、著者の「優遇措置ではなく罰則措置を」という主張である。火力発電も原子力発電も、両者共に有害物質を排出する。火力発電には高い税率の炭素税や厳しい上限つきの排出量取引制度を導入すべきである。他方、原子力発電には放射線・放射能封じ込めの対策コストを、政府が肩代わりするのではなく事業者に負担させる仕組みを導入するのである。この領域では現在、手厚い政府負担が行われているので、それを原則として全廃することが適切である。たとえば安全規制コストは事業者から徴収する原子力安全税によってまかなうのが適切であり、原子力賠償法についても、政府負担を全廃するか、または過酷事故を起こした電気事業者を清算し、それでも被害者に支払えない分についてのみ実施するよう見直す必要がある。
著者は、政府が原子力発電を優遇する正当な理由は、諸特性を一覧する限り乏しいと述べる。政府が税金により負担してきた一連の支援(立地支援、研究開発支援、安全規制コスト支援、損害賠償支援等)のコストは本来すべて事業者によって負担されるべきであり、それがエネルギー間の公正な競争条件を確保する上で不可欠であると主張する。
このように原子力発電事業に対する優遇をすべて廃止し、それでも電力会社が原子力発電の新増設や、使用済燃料の全量再処理や、高速増殖炉実用化路線の護持を望むのならば、政府が万全の保安・安全規制を講じた上で、全面的な自己責任においてやっていただくしかないと述べる。それが自由で公正な社会の当然のルールである。
本書は、福島原発事故直前に書かれた著書であるが、それだけに原子力のそもそも論を学ぶのにちょうど良い教材である。

柴野徹夫作・安斎育郎解説・向中野義雄画/中島篤之助・角田道生監修『増補版 まんが原発列島』大月書店、2011年4月

22年前の1989年5月に出版された本書は、福島原発事故後、増補版として緊急に復刊されました。本書は、22年前から原発震災の危険性を指摘した警告の書といえます。漫画はフィクションで、登場人物・団体は架空のものです。しかし、福島原発事故後に様々に報道される情報をつなぎ合わせて考えると、一概に“架空だ”と一笑に付すことはできません。「さもありなん」といった感じです。
物語は、1979年3月28日に起きた、アメリカ・ペンシルバニア州のサスケハナ川の中州に立つスリーマイル島原子力発電所の溶融事故と、その7年後のソ連ウクライナ地方にあるチェルノブイリ原発での実験事故から始まります。
 アメリカ政府は日本の総理に対し、原発の安全性についてのPR強化を指示し、総理は経団連とともに原発批判の世論対策として、徹底した安全PRでその流れを変えようとします。チェルノブイリ原発事故を受けて、業界紙の一人の女性が原発担当の記者を命じられます。
物語は、この女性記者(真央)を通して展開します。柴野徹夫は原発取材の中で実際に目撃・体験・実感したことを主人公の真央を通して、可能な限り事実に近づけて描き出したと述べています。
被曝作業、技師の死、原発下請け労働組合の結成、尾行、極秘の「原発新立地地点計画書」のスクープなども、そのままではありませんが、基本的に事実に基づいているそうです。
3月の作業員3名の被曝後、5月に入るとついに作業員が1人死亡する事故がありました。6月には緊急被曝量の上限250ミリ・シーベルトを超えた恐れのある作業員が計8人になりました。漫画では、高汚染区域に入るときに、赤い防護服に着替えて原子炉建屋内に入り、原子炉を洗うという場面があります。下は放射能の海で、落ちたら最期です。アラームが「ピーッ」となり、作業員がパニックになって、出口を探して走り回るシーンは、現在の現場で作業する人たちそのままではないかと想像できます。
地震で、福島原発で事故が起こる場面も、もはや現実のほうがずっとリアリティがあります。なぜなら劇画ドラマを凌ぐ現実を、私たち国民をすでにみてしまったのですから。

広瀬隆『福島原発メルトダウン』朝日新書298、朝日新聞出版、2011年5月25日

日本は今、大陸活動期に入りつつある。地震はいつ起きてもおかしくない。そしてほとんどの原発は、プレートの上に設置されている事実に驚かされる。そして、東京電力という企業と国(と経済産業省)、そして研究者、司法が、実に4身一体となって、原子力発電を推進・擁護してきたという事実にも驚かされる。原発事故後にテレビ出演した東電役員や広報の担当者と、首相や官房長官等と有名研究者たちは、ウソや誤魔化しを国民にしたのではないかと疑いたくなる。
司法もまた、原発擁護の裁判を繰り返してきたことにも驚きであった。例えば2006年、金沢地裁は、「活断層が確認されていないからといって地震が起こり得ないとは言えない」と、当時、運転開始したばかりの志賀原発2号機の運転差し止めを命じる判決を下した。ところが、最終的には2009年、名古屋高裁金沢支部が、「(国が一審判決後につくった)新耐震指針は最新の知見を反映している。具体的危険性は認められない」と金沢地裁判決を取り消した。これらの裁判官は、国の原発政策を放任・容認して、国民の生命をここまで危機にさらしてしまった責任は極めて重大であろう。福島第一原発の深刻な事故により、司法の独立が国民から厳しく問われることになる。そして、裁判官が住民の訴えを切り捨てた罪は大きいといわざるを得ない。
私は本書から、「福島原発事故はプロローグに過ぎない」というメッセージを受けとった気がする。もはや日本全土に安全な原発を見つけることは100%不可能である。本当に怖いのは、実は現在も日本列島に存在するすべての原発なのである。大陸活動期に移行しつつある現在、いつどこで地震が起きてもおかしくない。そして、原発はプレートの真上やすぐ近くに設置されている。地震が起きて、施設が破壊されれば、放射能が日本全国いたるところへと飛び散るのである。そしてそのときにはもはや私たちの逃げ場はない。そんな時代が現在なのだということを改めて思い知った。繰り返すと、本当に怖いのはこれからなのである。
こんな状況で、国民の命をいったい誰が守ってくれるのか。日本という国に疑問を投げかけざるを得ない。北から南まで「原発列島」を見てみると、こんなに狭い土地に無数の活断層が走り、地震と噴火が続いている国土に、「よくもこれほど多くの原発を建設したものだ」と驚嘆せざるを得ない。「一触即発」状態の原発と活断層が列島全体に重なって、最後の大惨事を招く。地球全体の歴史的な動きを予感すべきであったのである。
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