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平野国美『看取りの医者』小学館文庫552、2011年11月

「私は医者である。が、白衣は着ない。いつもラフな私服で診療する。訪問診療もすべて私服でしている。もちろん、白衣を着ないからといって偽医者ではない」
このような書き出しではじまる本書には、終末期医療の訪問医が見届けた感動の実話9編が書き綴られている。630例を超える死を看取ってきた訪問専門の医師が、中でも心に残った9例について語られている。数多くの「看取り」を続けてきた医師が問う「人にとって最もふさわしい最期の場所とは」が、本書の「問い」(テーマ)である。
著者は、1964年茨城県生まれ。筑波大学を卒業後、筑波大学付属病院や県内の病院で地域医療に携わってきた。その後、訪問診療専門クリニックをつくば市で開業した。現在「ホームオン・クリニックつくば」院長でもある。
開業医ではあるが、著者の医院を訪ねてくる患者さんはほとんどいない。なぜなら著者は訪問診療専門の医師だからである。患者には末期ガンや脳梗塞を患う人が多く、これまで何百人も患者の自宅で看取ってきた。その過程で、悩みながら、涙ぐみながらも、切なくも感動的な家族の形を知った。
慣れ親しんだ自宅で家族に「ありがとう」といって亡くなっていく人々の話は感動的だが、介護している人の負担の重さ、必ず浮上してくる金銭問題も無視できない。自分だったらどこでどんなふうに最期を迎えたいか、考えずにはいられない。
著者は、2004年、その診療活動がラジオで紹介されたのを機に、訪問医療に関する講演依頼を多く受けるようになった。昨年(2011年)冬には、女優の大竹しのぶさんが主演し、テレビドラマ化されたことでも有名である。
私には、かなり興味深い内容なので、簡潔に内容を紹介したいと思う。

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第一話 核家族の老後

「私が近所まで買い物に行ったせいで、こんなに苦しむなんて……お父さん、私を思いきり叩いて!」。根本さんの妻・宏子さんは片時も夫のそばから離れなかったが、ほんの一時間、買い物に外出したことで事態は急変した」。根本洋一さんは脳梗塞で、享年76歳で逝去した。

サービス7割、医療3割
著者は、「在宅医療(訪問診療)の仕事は、私の実感からすれば、『サービス七割、医療三割』であろう。つまり、サービスのほうが医療の二倍以上の比重を占めているといっても過言ではない」と言い切っている。実に面白い考え方であると私には思われた。
具体的にサービスの中身は何かというと、それは「対話」である。対話にはいろいろな役割があるという。
「第一に、家庭の事情を把握することである」。家族構成や個々の家族(子供たちや親戚など)がどこでどんな仕事をしているか、介護の手伝いができる状態なのかどうか、それらを知ることは在宅医療にとって決定的に重要な情報だからである。
「第二に、家族の死生観、とくに自宅での看取りに肯定的か否かを事前に知っておくことも対話の役割である」。例えば患者さんの死期が近づいたときに、家庭で看取るか、それとも病院に搬送し。延命治療を受けさせるかなどは、事前に把握しておかなければならない。いざとなってからでは混乱するばかりだからである。
「第三に、患者さんの家庭の経済事情も知っておく必要がある」。もちろん、経済的に貧しいからといって、助かる医療を諦めさせるわけではない。もし必要ならば、生活保護や医療保護があることを教え、場合によっては手続きも手伝ってあげるためである。そうすれば、諦めずに必要な医療を受けさせることができるからである。
「第四に、介護家族の精神的なケアという役割もある」。患者さんが高齢の場合、介護者も高齢のことが多い。介護家族の精神的・肉体的負担は大きい。対話にはその負担を軽減する力がある。余計な不安を取り除いたり、介護についてアドバイスしたりすることで、介護者の必要外の努力や疲労を省いてやることができる。また、対話を通じて、介護家族が先に倒れてしまう悲劇を未然に察知し、予防することもできる。
そのほか、対話を通じて、夫婦のなれそめや昔話を聞いているうちに、それが治療方針の参考になることもあるし、介護者自身にとっては誇りや励みになることも多い。「介護者を決して孤独にしてはならないのだ」。「介護者に『あなたはけっして孤独ではない』というメッセージを送りつづけることが必要なのだ」と著者は強く主張する。まったく同感である。

病診連携
こういう対話は、医師が(精神的に)一段高いところから見下ろすような位置で話をすると成立しない。一種のサービス業のような、あるいは「同志」のような、その意味では「対等」な立場で、雑談混じりに話し合うと「本音」が聞けることは、私(著者)の経験が示すところである。白衣ではなく普段の診療も、いくぶんかはそれに役立っているかもしれない(もちろん医療という専門分野においては「対等」でないことはいうまでもないが)。
私が著者から学んだのは、病診連携の実際である。この第一話は、ホームドクターや在宅医医療が普及すれば、病院も軽症の患者さんから解放されるわけだから、在宅医医療と上手に連携することで、ベッドにも余裕ができるはずである。「実際、わがクリニックと提携している病院では、そんな役割分担が理解され、連携行動がスムーズにいっている。「病院」と在宅医療の「診療所」との間での「病診連携」である。
著者は、「こうした連携が将来、医療の需要と供給を調整するもの」と信じている。

第二話 呆けたふりをする老母

介護する実の娘と口論が絶えない高齢の母親。そんな母が上手に呆けるのは生活の知恵なのだろうか? 菊川ケイさんは脳梗塞で、年92歳で逝去した。

呆けたふり
「老いては子に従え、というでしょう。でも、私も娘もこういう性格だから、すぐに衝突するの。それじゃ、うまくいかないから、呆けたふりをするのよ。実際、体が弱ってるし自分一人じゃ立てないし、頭もだいぶ耄碌してるしね。だから衝突したときに私が呆けたふりをしたら。そのときは娘も口げんかを諦めるから都合がいいのよ。ときには娘が優しくしてくれるしね」
 ふーん、どうやら本当らしいと思いながらも、やはり驚きは隠せない。
 「内緒にしてね」とケイさんはいたずらっぽい笑顔で私に念を押した。
私はまだ半信半疑だったので「ははは」と笑いでごまかすしかなかった。
たしかに今の言葉は、理路整然としているようにみえるが、この年齢での認知症は、正常時と発症時が交互にあらわれるから、本当に呆けたとしか思えない場合もあるのだ。
私は、ケイさんの「呆けはウソ」という発言を「自分はまだまだ正気」という「やる気」のあらわれと解釈することにした。正気を維持しよう(維持したい)という気力は、生きる気力のあらわれでもあるから、否定すべきことではない。

五月の鯉の吹き流し
 ケイさんと好子さんは似たもの母子で、何か一言でも相手に突っ込みを入れないと気がすまない性格だ。それが口論の原因になるのだが、習慣だからやめられない。というより、それが自然なことだと思っているフシがある。案の定、ケイさんが娘の言葉に応戦した。
 実の母子のいいところで、口げんかはしても尾を引かない。二人の性格でもあるのだろうか、「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し、口先ばかりで腸はなし」みたいなもので、口は悪くても腹の中には何も残っていないのだ。その証拠に、口げんかのあとでも夕食になると、食卓には母親の好物の晩酌が必ず用意される。それを二人でちびりちびりとやりながら食事を楽しむのだ。

花道と泥道
自宅で看取りたいという好子さんの意思は再三確認していた。
実際、92歳の老人に激しい延命治療をほどこすことは、死にゆく人への冒涜とさえ思われる。自然に、静かに、人生の大団円(すべてがめでたく収まる結末)を迎えようとする人を、無理やり最後のステージから引きずり降ろし、花道ではなく泥道につれていくようなイメージが私にはある。本人やご家族がどうしても延命治療を、と希望するのであれば、それはしかたがないことではある。が、そうでないかぎり、こちらから勧めることはない。

第三話 在宅死を拒否する人々

奥山セツさんは胃がんで、享年82歳で逝去した。「金はいくらかかってもいい。一分一秒でも長く母を生かしておいてくれ。それが医者の務めだろうが!」。
奥山さんの息子は中小企業の社長で、母親の在宅死を拒否し、延命治療を主張する。一見、私には当然かと思われたこの行動には、実は大きな裏話が隠されていることになる話で、大変興味深いし、同じ経験を私もしている。

痛みからの解放
まず学んだところを記述する。まず、「麻薬性の貼り薬」の話である。貼り薬というのは、「麻薬性パップ剤」のことである。モルヒネの座薬もあるが、座薬は即効性があり、貼り薬は持続性がある。パップ剤の場合、ほぼ三日間(72時間)は効果が持続するので、適宜、貼り替えてあげれば、患者さんはガン特有の痛みから解放される。ただし、吐き気や便秘、人によっては意識混濁の副作用もある。吐き気を防止するためには制吐剤も同時に処方する。
著者は、「この合成麻薬の貼り薬ができたおかげで、在宅医療関係者はずいぶん助かっている。それまで病院でなければ的確なペイン・コントロール(疼痛管理)ができなかったものが、在宅医療でも可能なったからである」と指摘する。疼痛管理のためだけに窮屈な入院生活を強いられていた患者さんたちは、自宅でくつろいだ気分で緩和ケアが受けられるとうになったため、QOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)が格段に向上したのである。
とくに人生の最期を自宅で迎えたいというガンの患者さんには、これは非常に有効な療法ともなっている。
当然だと思うが、胃ガンの場合には「胃瘻造設はできない」ということである。点滴での栄養補給より胃瘻のほうが生理的には適している。しかし、胃がんの場合、胃瘻造設は不適応とされている。
セツさんは、胃瘻造設もできずに、病院に入院しているわけにもいかず、病状急変の度に長男の一言で2度も入退院を繰り返すことになった。著者は、「これから『責め苦』のような延命治療を受けさせられるセツさんが不憫であった。もう意識がないから、苦しいという自覚はないかもしれない。けれども延命治療後の患者さんの死に顔には、例外なく苦痛がにじみ出ている。死臭も強い。自宅で自然に息を引き取った患者さんが安らかな死に顔で、ほとんど死臭を感じないのとは対照的である。おそらく意識はなくとも体は苦痛に耐えられないのではないかと思う」と述べている。
以上の、第三話の、話の中心はここからである。「隠されていた母の逝去」の小見出しで始まる話は興味深い。「なぜ長男は執拗に母親を延命させなければならなかったのか」の話である。

延命治療の理由は遺産相続
セツさんには結婚前の独身時代に別の男性との間にできた子供がいた。男性はセツさんの妊娠後、姿をくらまし、杳(よう:事情がはっきせずに)として行方が知れなくなってしまった。まだ戦後の混乱期だったので、相手の男性を捜す手立てもなかった。
セツさんが産んだ男の子は、生後すぐに養子となって関西の親戚にもらわれた。それから数年後に、セツさんは深山さんと結婚した。この結婚で生まれたのが、奥山長一郎さんらの3人の子供たちである。つまり、三人兄弟には「父親違いの兄」がいることになる。これが長一郎さんにとっては大問題であった。もし今すぐセツさんが亡くなれば、セツさん名義の土地建物を銀行の担保に入れる作業が中断され、遺産相続の手続きが終わらないかぎり、銀行は土地建物を担保として受け入れないだろう。
しかし、相続となると、たとえ赤ん坊のときに養子となって外に出た子でも、相続権が発生するため、この「見たこともない兄」を捜して相続権を放棄してもらうか、または相手が放棄しないと言えば、その兄を含めた四人兄弟で遺産を分割することになる。
遺産分割はトラブルが多いが、仮にスムーズに分割したとしても、農地を切り売りするわけにはいかないから、結局、当座は四人の共有という形でするしかない。そうなると、四人が合意しないかぎり、銀行融資の担保にはできないことになる。それでは長一郎さんが困る。「見知らぬ他人同然の兄」が担保提供に同意するとはとうてい思えないからだ。
このような事情から、仕方なく二男も二男の妻も呆然として言葉もでずに、長男に従うしかなかったというのである。長一郎さんが延命治療を主張した背景にはこのような裏事情があった。
このような事情はテレビ番組でもよくでてくるストーリーである。しかし著者は、「欲得ずくに話はないか」と憤る。そして、「一分でも一秒でも長く母を生かしておいてほしい。それが家族の情というもんだ。そうするのが医者の務めだろうが!」と怒鳴った長一郎さんの言葉がしらじらしい。しかし、「結局は、母親の最後の望みである『自宅で死ぬこと』よりも、経済的利益を優先する長男の判断に従ったことは間違いない。誰もそれを非難することはできないが、一抹の寂しさを感じるのは私だけではあるまい」と述べる。

私の経験
私は、土地の売却で同じ経験をしたことがある。祖母が死んだあと、子どもがいることがわかった。戦後のどさくさで探すことができなかった「まさに見たことも聞いたこともない」人から、遺産相続権を放棄してもらった。
私の場合は、祖母が死んだあとにわかったことだが、第三話の物語の文脈からすると、生前となると延命措置もやむを得ないのではないかとさえ思われる。

第四話 さまよう入院患者

「夫の手も握れないような、こんな理不尽な仕打ちをされるために、嫌がる夫と泣きながら病院に戻ってきたわけじゃありません」。田中博さんは、肝臓がんで、享年64歳で逝去する。

新米医師は「ジュニアレジデント」と呼ばれる。これは、駆け出しの研修医を指す言葉だ。ジュニアレジデントは、「オーベン」と呼ばれる先輩医師の指導を受ける。「オーベン」とは「指導医」のことだ。オーベンになってくれるのは、「チーフレジデント」と呼ばれる5、6年目の研修医である。
「それは、私が医師免許を取り、研修医として大学病院に勤務しはじめてから3カ月目のことだった。この初めての患者さんの死は、今も忘れることができない」。

アンモニア脳症
田中さんは不穏の症状で院内を徘徊したり暴れたりした。肝臓ガンの末期症状で、アンモニア脳症が出たためである。アンモニア脳症は肝硬変でも生じるが、要するに、体内の解毒作用を一手に引き受けている肝臓が機能を失うと、肝臓でアンモニアが分解されず、その一部が血流に乗って、脳に流れ込むのである。その結果、アンモニア脳症が引き起こされることになる。
最初、日時や時間の感覚が狂い始め、場所の感覚も失ってしまう。自宅にいた場合、台所でおしっこをしてしまうという事態も起こる。トイレとの違いが分からなくなるのである。幻覚も生じる。その後、意識レベルがだんだん低下してくる。
肝臓がガン細胞によって制圧され、肝機能が回復しない以上、これは手の施しようのない事態なのである。「体内の化学工場」と呼ばれる肝臓は、体内の化学変化をほとんど一手に引き受けており、肝臓内では何千、何万の化学変化が処理されている。だから、肝細胞が次々と破壊されている状態では、その化学処理を薬剤その他で代替することは不可能なのである。薬剤もまた肝臓で処理されるからである。
田中さんの場合も、不穏で暴れて以来、病態が次第に進行していた。

戦場と化した病室
回診中に、突然、田中さんの呼吸と心臓が停止したのだ。ガンの進行による多臓器不全の状態であった。
「一瞬にして病室は戦場となった。
 懸命の延命処置が繰り返されたのである。心肺停止した患者さんに対して激しい蘇生術が加えられる。とても家族には見せられない場面だ。その間、私は先輩医師たちの邪魔にならぬよう、壁にへばりついているしかなかった。主治医でありながら、治療に参加できぬ己の無力さをこれほど感じたことはない。それは長い長い一時間だった。この果敢な延命処置によって田中さんの一命は取り止められた。
田中さんには人工呼吸器が取り付けられ、体には何本もの点滴ラインに取り込まれている」。
「ほっと胸を撫で下ろした。助かったのだ、とふたたび自分に言い聞かせながら」
「瞳孔にペンライトの明かりを当ててみる。やはり、瞳孔の反射はなかった。これは限りなく脳死に近い状態だと悟った」
「無理もない。心肺停止していたのだ。当然、脳にダメージは起きただろう。今や田中さんは、生きているというよりも、無理やり生かされている状態なのである。これが延命治療なのだ」
「田中さんにとっていちばん大切な奥さんは、この一時間を部屋の外で、夫から隔離されていたのである。夫に触れることも、見ることも許されなかったのだ」
「部屋の中に入った瞬間、挿管だらけの夫の姿を見て、奥さんは凍りついたのだった・・・・」
奥さんには、ホースやら管やらが入っていて、とても近寄れない。「触ったりすると、何か、してはいけないことをしてしまうんじゃないかと思って、怖くて手も握れません。どこまでなら、していいの? 教えてください。なんか、生きているといっても、主人が不憫で・・・・」
奥さんの怒りは主治医の私に向けられている。

ステルベン
「ステルベンは初めてなのか? 分かった。臨終の告知は俺が教えるとおりにやるんだぜ。でもその前に心肺蘇生(延命処置)もやるからな」
指導医の吉川先生が奥さんに言った。
「すみませんが、部屋の外でお待ちください」
その直後に、患者さんの背中に板が入れられ、心臓マッサージも準備ができた。
「ボスミンI V(I Vとは静脈内へ注射すること)」
「はい」
そこから、吉川先生の激しい心臓マッサージが始まった。患者さんに馬乗りになり、両手で心臓を圧迫するのである。
腕力で胸を押す蘇生術だから、一人で長時間は無理である。指導医から私に交代した。患者さんの体はもろくなっているが、心臓を蘇生させるには強い圧迫が欠かせない。患者さんの肋骨が折れる感覚が伝わる。肺が傷ついたのか、気道から出血が見られる。
かれこれ一時間近くこの作業を繰り返し、個室はあの心肺停止日以来の修羅場となった。汗が噴き出る。しかし一週間前と違って、もう田中さんの心臓が動くことはなかった。
指導医の吉川先生が言う。
「もう、いいだろう。ご家族を中に入れて」
「この一時間で、また田中さんの容貌は変化した。意識がなくても、心肺蘇生術は患者さんに大きな苦痛を与えているに違いない。奥さんも夫の顔を見て、言葉を失っている」。
私たちが部屋を後にした瞬間、室内から、奥さんの泣き声が聞こえてきた。
「・・・・これが、死というものか」。
「正直、疲れた。しかし、これが病院における死なのだ、と思った。いや、思ったというより、体で理解した、といった方が正しいかもしれない」
「この仕事を辞めないかぎり、これから何度も、この場面に出くわすことになるだろう。いったい、これを何度経験すればいいのだろうか。この名状(物事のありさまを言葉で表現すること)しがたい空しさを。
田中さんが亡くなった今、私は敗北感と無力感につつまれている。私は医者として、何ができるのか? こういう医療でいいのか? 何か、割り切れぬ感情がつきまとう。
しかし、当時の私は、それを批判するだけの経験も知識もなかった。いや、今だって、経験は数多く重ねたものの、一家言(その人独特の意見や主張)をなすだけの見識があるとは思っていない」
「私がのちに高齢者や終末期患者の在宅医療に特化したホームドクターになった背景には、たしかにこの初めての『患者さんの死』がある。それに対する疑問がある」

第五話 自宅で死ぬということ

桑田淳二さん。肺気腫・腎不全で、享年81歳で逝去。

在宅医療の成否を決めるもの
「どんなに在宅死を願っていても、治療して良くなる可能性があるうちは、みすみす死なせるわけにはいかない。ということは、急激な悪化の兆しがみえたら、設備のととのった病院に再入院させなければならないということだ。しかし、そのまま退院できずに亡くなる場合もあり得る。それでは患者さんの願いは達成できないことになる。だから、在宅医療で病状を安定させる。できれば老衰のように自然な衰えによって臨終を迎える、というのがいちばん望ましい形だろう」
「在宅医療や在宅死の希望を叶えるには、いくつかの条件をクリアしなければならない。そのひとつが介護の問題だ」
「老人の在宅医療の場合、介護をする家族も高齢である場合が多い。息子の嫁が介護の主役になる場合もあるが、それでも中年である。あまり無理は利かない。よしんば若いお嫁さんであったとしても、介護者の心身の疲労は大変なものだ。だから医師は、在宅医療では、家庭内介護者のケアにも十分な注意を払わなければならない。介護する人が過労や病気で倒れてしまったら、在宅医療は不可能になるからである」
「在宅医療は、医師による訪問診療、看護師による訪問看護、ヘルパーによる訪問介護、そして家族による日常的な介護によって成り立つ」
「在宅医療を成功裏に運ぶためには、医師が患者さんの経過を正確に把握し、病状の回復や悪化の程度を適切に判断し、それに応じた投薬や検査などをおこなう必要がある。と同時に、看護師やヘルパーなどに適切な指示を与え、相互に連絡を密にして、連携プレーで在宅医療の効果を高める努力が必要である。もちろん、最新医療機器による検査が必要と判断した場合には、提携する病院に患者さんを検査入院させることも必要になる」
「こうした、一診療所(開業医)にとどまらない幅広い提携関係を維持・活用することが、在宅医療の成否を決めるといっても過言ではない。医師が自分の診療所の利益だけを考えて、患者さんを『囲い込む』などという愚かな行為は、場合によっては患者さんの声明を損なう結果にもなりかねない。心すべき点である」

妻の骨折と在宅医療の破綻
そして、もうひとつ重要なのは、介護家族の心身のケアである。この時期に妻が入院したら夫の在宅医医療は破綻する。
週のうち5日間は、医師、看護師、ヘルパーが来てくれるが、介護ヘルパーは日中だけである。夜はすべて妻が夫の介護をしなければならない。この時期、夫は意識こそしっかりしていたものの、寝たきりで酸素吸入をつづけており、食事の世話や大小便などの処理は妻に頼らざるを得ない状態だった。しかも年々、体力が衰えている。全体としてみると、徐々に死が迫ってきているのは明らかだった。万一、この時期に妻が入院したら、夫の在宅医医療は破綻する。
「お母さんが膝を打って骨折したらしい。すぐに来てくれ」
見かねた夫が、息子に電話をした。
ミチさんは夫の今後が気になって、自分のケガの処置をどうしたらいいか、判断に迷っていた。しかし、淳二さんは淳二さんで、妻のケガの状態が心配で、とにかく早く医者に診せたいと、息子に相談する。
うるわしい夫婦愛だが、しかし、これは在宅医療の脆さを象徴する話である。家庭内の介護者にこんな事故が生じたら、在宅医療はすぐさま困難に直面するのだ。
はたして、ミチさんは膝を骨折していた。
結局、ミチさんは介護事業所のケアマネジャーと相談して、夫の淳二さんをショートステイで受け入れてくれる病院付属の滞在施設で預かってもらうことにした。私(著者)もそれを勧めた。介護家族のいない在宅医療など不可能だからである。
淳二さんが入所したのは2002年の11月21日だった。そして手術の必要なミチさんは、その翌日の22日に、同じ病院の病棟に入院した。同じ敷地内に病棟と滞在施設に、妻と夫がそれぞれ入ったわけである。
しかし、このとき、淳二さんに異変が生じていた。
環境が急激に変わったことや妻の容態への心配が、夫の精神を直撃していた。しかも滞在施設内で無理をして、一人でトイレに行こうとして転倒してしまったという。それらが原因で、淳二さんに軽い意識障害があらわれたのだ。そのうえ、腎不全に陥った。
淳二さんをショートステイから病院へ移すよう手配し、病院に急いだ。
病室に駆けつけてみると、淳二さんはいわゆる奇異反応のひとつ「不穏」の状態であった。興奮状態でワーワーとわけの分からないことを口走り、焦点の定まらない目をしている。
向精神薬の投与によってこうした症状があらわれる場合もあるが、桑田さんにそのような薬剤は投与されていない。これは環境変化した精神的不安に対する混沌と抵抗感が高じた結果、出てきた症状ではないかと思われた。

延命治療を捨てるという宣言
「桑田さんには、もはや小さな手術に耐えるだけの体力も残されていないと思います。桑田さんの腎臓が改善する見込みはありますか?」
「ない」
先輩医師は断言した。そして、こう付け加えた。
「正直なところ、年齢や全身状態を考慮すれば、透析をしても、現状維持というより徐々に衰弱することは目に見えている。もちろん、透析しない場合に比べれば、多少は寿命は延びるかもしれないが……しかし、きみも分かっているとおり、もともと余命数カ月といった状態だろう。いずれ近いうちに最期のときがくることは間違いない」
「やはり……先生も、そう思いますか」
それは医師ならば誰でも分かる状態だった。

私は桑田さんの希望を、率直に担当医に説明した。
「桑田さんは病院での死を望んでいません。ご本人も奥さんも、日ごろから、自宅で死にたいと話し合っていました。このまま透析を続ければ、入院したまま帰宅できなくなる可能性が大きいでしょう。おそらく、死ぬまで退院することはできないでしょう?」
「おそらく、とうより、間違いなく、といっていいね」
「しかし、それは桑田さんの本望じゃないんです」
うーん、と先輩は唸った。そして口を開いた。
「しかしね、われわれ医者としては、患者さんの寿命を縮めるような真似はできないじゃないか。延命できるかぎりは延命措置をとるのが医者の義務だろう」
私も、従来ならば、それが当然と考えていた。
しかし、桑田さんの強い意思が、私の固定観念を揺るがしていた。
先輩医師から、「医者の義務」という言葉を聞いたとき、私は人生の終末期を迎えつつある桑田さんの代わりに、医者の立場からではなく患者の立場から、在宅死の希望を強く伝えなければならないように感じた。
「でもね、先生!桑田さんは病院のベッドにつながれたまま、意識もなく数日か数週間だけ余命を伸ばすよりは、自宅で家族に囲まれながら死ぬことを希望しているんです。いや、そう決断したんです。われわれ医者は、患者さんが自分の人生の始末をこうつけたいと下した自己決定を、勝手にくつがえす権利があるんでしょうか?」
私の強い口調に、先輩医師は腕組みをして黙りこくった。
「うーむ…」
一方、私は桑田さんの代弁をしただけのはずなのに、心はいつしか桑田さんの考えに賛同する方向へと急傾斜していた。医者の発想から、患者の発想へと大きく重心が移動したのだ。そしてそれは、桑田さんの考えのほうが正しい、という確信へと変わっていった。
野生の猫でさえ、自分に死期を悟ったら、いつともなしに姿を消してゆくではないか。自分で自分の始末をつけるのだ。
医者という専門職が存在していなかった太古の昔には、人間は、やはり自分の死期を悟ったら、他人にすがってやみくもに延命を願うより、静かに死の訪れを待ったのではなかろうか? 家族や友人に別れを告げ、悔いのない人生をまっとうしようと努めたのではなかろうか? そう思えてきた。

医者の医療から終末期患者のための医療へ
私はもう、誰がなんと言おうと淳二さんとミチさんの味方にならなくてはいけないと感じていた。ホームドクターである私がお二人の意を汲んであげなければ、誰がこの夫婦の希望を叶えてあげられるだろうか。
私は腎臓担当の先輩医師に懇願した。
「先生、桑田さんの症状が落ち着いたら、いったん自宅に帰してあげてもいいでしょうか? それが桑田さんに今、いちばん必要なことだと思うんです」
「でも、奥さんは骨折で入院中と聞いたけど」
「ええ。ですから、奥さんの回復の時期に合わせて、ということです」
「では、透析は、そこまでで打ち切る、と?」
「そうです。それ以上、透析をつづけることは、桑田さんに『病院で死ね』と言うことと同じです。それは桑田さんの決断を踏みにじることです」
桑田さんの決断は、今や私の決断でもあった。
この決断を下したとき、私は初めて、死を敗北と見なす「医者のための医療」から、死を充実した生の締めくくりとする「終末期患者のための医療」へと一歩、踏み出したのである。傍目にはわずかな一歩であろうが、この一歩は、医者にとって、目もくらむような深い淵を飛び越える一歩だった。

ナルコーシス
2002年の暮れも押し詰まった12月29日、どうしても自宅で正月を迎えたいという淳二さんの希望を入れて、退院が許可された。そのときの桑田さんのうれしそうな表情といったらなかった。
2003年の正月、桑田家には例年のように、ご子息3人とその家族たちが集まって、正月を祝った。
たしかに淳二さんは、入院時とは見違えるように生き生きとした表情になったし、意識障害もみられない。環境の激変や精神的な要因がこれほど症状を悪くしたり、和らげたりするのかと、私も驚いたほどである。
在宅医療に戻って精神的には安定したとはいえ、肺気腫と腎不全が改善したわけではない。実際には、もはや後戻りはできないほど桑田さんの体は衰弱していた。在宅医療でできることは適切な保存療法で病状を悪化させないこと、他の感染症などに注意することなどである。
いよいよ最期のときが近づいたと、私も観念した。あとは、いかに苦しませずに見送るか、である。
「うちのお父さん、苦しむようなことはないかしら。肺気腫だから、呼吸ができなくて苦しみながら死ぬことはないかしら?」
「大丈夫です。苦しまないように処置しています」
苦しい呼吸を楽にしてあげるには、酸素の量をやや多めに与えればよいのである。もちろん許される範囲の話だが。
桑田さんの血液は低酸素血症の状態だから酸素が欠乏しているが、酸素をやや多めに与えると、呼吸が楽になった分だけ呼吸数が減り、二酸化炭素(炭酸ガス)の排出量も減る。すると体内に二酸化炭素が溜まり、ちょうど天然の麻酔がかかったような状態になる。これをナルコーシスというが、本人は夢見心地で気持ちのいい状態である。これで苦しむことはない。あえて他の薬剤を投与する必要もないのである。
淳二さんの体は、注射針の穴ひとつない、きれいな遺体だった。
桑田さんは痛みも苦しみも感じることなく、家族や友人に囲まれながら、ブラームスの言葉のようにこの世を立ち去っていったのである。
桑田さんがあの世へ向けて静かに一歩を踏み出したように、私も医者の立場から見た終末期医療ではなく、患者の立場からみた終末期医療へと一歩だけ踏み出すことができた。桑田さんと奥さんのおかげである。

第六話 無手勝流の開業医

当時4歳の著者・平野国美氏の体験。母は、死線をさまよう息子の在宅医療を、必死で、開業医の先生にお願いした。その結果、みごと死から脱出できた。

最近、国民医療費の増大を抑制するため、財政的な観点から在宅医療を推進するという方向性が打ち出されているが、もしそれが入院治療の必要な患者さんを病院から無理やり在宅医療へ追いやる結果をもたらすとしたら、本末転倒だろう(p.162)。
国民を病気の苦しみから解放するため、また健康回復と健康増進のためにこそ、医療政策は決められるべきであって、医療政策が「弱者切り捨て」になってはなるまい。在宅医療・訪問診療は、それが必要な人々のためにこそ活用されるべきだと思う。間違っても弱者切り捨ての方便に利用されるべきではない。
私もまったく同感である。

第七話「女子中学生の一言」

大崎真造さんは、脳梗塞、胃がんで享年86歳で逝去。

在宅ホスピス
ホスピスとは、ターミナル・ケア(終末期医療)の代表的な形で、病院などに付属する施設として普及したケースが多い。ホスピスのおもな仕事は、病気を治すというより、もはや回復不可能な末期の患者さんの身体的苦痛を軽減し、残された時間を充実して生きられるようの補助することである。患者さん本人やご家族が、心静かに死に臨む準備をする意味もある。
痛みの緩和ケア(身体的苦痛の軽減)が在宅でも可能になったため、病院(ホスピス)よりリラックスできて、より良いQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)が実現できる在宅での終末期医療が可能になった。経済的負担もホスピスよりはずっと軽い。だから、昔のように安心して「自宅で死ぬこと」ができるようになったのである。終末期の在宅医療は、今や「在宅ホスピス」といっても過言ではない(p.179)。

女子中学生の一言
「お父さんは間違ってると思う。お金が惜しいから入院させたくないんじゃない。お父さんはお金のことばかり言ってるけど、それは間違ってる。私もおじいちゃんを入院させたくない。でも、お金の問題じゃない。この家でおじいちゃんと一緒に暮らしたい。きっと、おじいちゃんもそう思ってる。お金が惜しいんじゃなくて、おじいちゃんがこの家からいなくなるのが嫌なのよ、私は。だから、私がここで面倒みたっていい」

私たちは高度成長期以降、日常生活の中から「死を放逐」してきた。「親族の死」すらも病院に押し付けて、自分たちが「死につつある人」と生活することを拒否してきた。いや、忌避してきたといってよい。
私たちの祖先は常に死を自覚することで、日本の文化を築いてきた。その文化が崩壊しつつある。弱者への思いやりが崩壊しつつある。
自宅で死を看取るということは、そういう文化の基礎を取り戻すことにつながるはずだ、と私は思う。

第八話 新しい形の「終の棲家」

「家族に面倒みてもらえる人ばかりじゃないでしょ。だから、このアパートでは独居老人でも亡くなるまで私たちがお世話するのよ」
95歳の老人のおしめを取り替えながら、高齢者集合住宅の女性オーナー社長は微笑んで、さらりと言い放った。
岡田美智子さんは、高齢者住宅オーナー兼ヘルパー会社社長である。

どこで死ぬか?
では、私たちはどこで死ねばいいのか? 病院なのだろうか?
たしかに、死の直前になって救急車で病院に運ばれ、延命治療の果てに、結局、そのまま病院で死ぬというケースもあるだろう。
しかしそれは、最近では、まだ幸運なほうである。実は、病院で死ぬことも難しくなりつつあるのだ。
政府・厚生労働省の国民医療費抑制策から、病院が長期入院を断るケースが当たり前になってきた。生活習慣病などの慢性期の患者さんが三カ月以上滞在すると病院は赤字になってしまうシステムになっているからだ。そうなると、患者さんは病院を転々と替えざるを得ないことになる。それを受け入れてくれる病院があればまだ幸いだが、最近では医師が受け入れを嫌がるケースが増えている。首都圏のある大学病院では、統計上、患者さんの治癒率(生存率)を高め、死亡率を低く抑えるために、余命わずかな(つまり死亡が確実な)患者さんの入院を断ることが、院内の暗黙の了解になっているという。つまり、治りそうな患者さんしか受け入れないわけである。これでは表面上(統計上)は生存率を高めることができても、そんなものは数字の詐術でしかない。肝心の患者さんの苦しみを救うという医療の大前提が崩れている。

行く場のない高齢者
「ガン末期の患者や余命わずかな高齢患者を受け入れると『負け戦』になるからね」
そんな言葉を口にする医師もいる。「負け戦」とは、患者さんが治癒して退院するのではなく、棺桶に入って退院することを意味する。どんな理由にせよ、入院中に患者さんが亡くなれば、生存率が悪くなるから「負け戦」というわけである。
そこには、人間の終末期をいたわるという発想がない。一人ひとりの生命とその尊厳を大切にし、その人生を全うするために最善を尽くすという医道倫理がない。
そんな病院側の都合だけで、患者さんの受け入れを上手に断る医師のほうが、教授など上司から褒められるというのだから、なにをか言わんやである。そんな教授のもとで医療を学んだ若い医師たちが、将来どんな医療をするのかと考えると空恐ろしくなる。

例えば、高齢で認知症が始まった患者さんを、デイサービス施設に押しつけて、あとは放置している家族がいる。デイサービス施設は性質上(法令上)、医師を呼んで利用者の治療行為などをすることはできない日帰り施設なのだが、そういう無理なことまで施設に押しつけようとする家族もいるのである。また、デイサービス施設で親身になって介護をしてくれたヘルパーさんに、初めて、家族から受けている虐待を告白した老人もいる。その人は認知症ではない。施設の風呂場で体を洗ってもらったとき、その男性老人が泣きながら、家族による虐待の事実を訴えたのである。
こうなると、いったい家族とはなんだろうかと思ってしまう。
日本のいたるところで、行政も医療も家庭も、倫理道徳がすたれ、高齢者が安心して暮らせない状況が現出しているような錯覚に陥ってしまう(本当に錯覚であればよいのだが…)。

新しい終末期の過ごし方
なぜ岡田さんは「ぽらりす」を、特別養護老人ホームやグループホームのような行政から補助金などが受けられる介護施設や社会福祉法人にしないのだろうか? 私は疑問に思って、そう質問したことがある。すると、岡田さんはこう答えた。
「そういう施設にすると規則や条件があまりにも多すぎて、入居者の家族や親戚が遠方から訪ねてきても、自由に泊まったり、身の回りの世話をしたり、好物の料理を作ってあげたりということができなくなるでしょう。民間アパートならそんな規則はありませんよね。また、ここなら、可愛がっていた犬や猫と別れる必要もありません。入居者が以前から飼っていた犬や猫を、ここではみんなで可愛がっています。お年寄りに必要なのは、普通の家族と同じような自由なんですよ。介護があっても自由がなければ窮屈でしょう? うまく説明できないけど、普通の生活スタイルを犠牲にした介護施設って、本当に高齢者本人のためになっているのかしら? 私はごく普通の家族みたいな生活を楽しんでもらいたいと思っているんですよ」
実際、この高齢者アパートは、家族共同体のように気ままで自由だ。その生活には、気詰まりな規則らしきものに縛られない、不思議な解放感と安ど感がある。もちろん一般の家族にも、暗黙のルールはあるだろう。ここにもその程度のルールはあるに違いない。しかし、家族と同じように、なんにも遠慮はいらないのである。精神医学的にみて、非常にストレスの低い日常生活が享受できるような、自然なシステムが形成されている、といったら当たっているかもしれない(p.218)。
この「ぽらりす」のような介護付き高齢者住宅が日本中にたくさんあれば、身寄りのない人もある人も、家族の手を煩わせずに「在宅医療」を受けることができ、また最終的には「在宅死」ができることになる。
これは「新しい終末期の過ごし方」を示唆しているのはなかろうか。

第九話 自宅で死のうよ

大量死の時代
日本でもいずれやってくる団塊の世代の「大量死」の時代には、やむなく在宅死を選択せざるを得ない人々が頻出するようになるはずだ。医療施設も介護老人保健施設も「大量死」を受け入れるだけのキャパシティがないからである。
それにそなえて、厚生労働省は在宅医療(ひいては在宅死)を推奨する方向に動いている。国民医療費を削減するために、高齢者や終末期患者の入院を減らすという政策意図があることは確かだろう。また、そうしなければ、病院・診療所のベッド数が大幅に不足することは火を見るよりも明らかだからである。
一方、厚生労働省の政策意図とは別に、高齢者やその予備軍が、在宅死に積極的な意義を認める傾向が出てきたのも事実である。終末期の在宅医療に特化した診療所の患者さんが年々増えてきたことからも、その傾向が推定できるのだ。

“Do Not Resuscitate”
ある病院では、DNRを要望する患者さんが増えており、カルテの最初のページに「DNR」と明記する例が多くなったという。
DNRとは、“Do Not Resuscitate”(蘇生処置をするな)の略語で、「心肺蘇生不要」を意味する。つまり、心肺停止状態になったときに、人工呼吸器を付けて強制的に呼吸させるような処置をしたり、患者さんに馬乗りになって心臓マッサージをしたりしないでほしい、ということなのである。

グリーフ・ケア
終末期の患者・高齢者本人のケアの問題もさることながら、彼らの死後に残された人々の精神的なケアの問題も忘れてはならない。これを「グリーフ・ケア(grief care)」という。
グリーフ(grief)とは、深い悲しみ、悲嘆、心痛などを意味する。家族など、かけのない人を喪った悲しみは、残された人の心を深くえぐる。とくに夫婦の場合はそうだ。人生のパートナーを喪うのだから、その悲しみは深い。グリーフ・ケアとは、その深い悲しみ、心痛を癒すことを意味する。

緩和ケア(ターミナルケア)
病院などの併設されたホスピスは、緩和ケアを中心にした終末期患者のケア施設だが、現在、厚生労働大臣または都道府県知事から認可を受けたホスピスでは、ガン患者とエイズ患者しか入院できない。しかし、人生の終末期を迎えた人々はそれだけではない。緩和ケアを必要とする人々はもっと多い。
緩和ケアとは、WHO(世界保健機関)の定義によれば次のようなケアのことである。これはターミナル(終末期)ケアとほぼ同義と考えてよい。

「緩和ケアとは、治療を目的とした治療に反応しなくなった患者に対する積極的な全人的ケアであり、〔治療よりも〕痛みやその他の症状のコントロール、精神的、社会的、スピリチュアル(霊的)な問題のケアを優先する。緩和ケアの目標は、患者と家族のQOL(生活の質)を高めることにある」

こうした緩和ケアによって、患者さんの残された人生(ふつう数週間~数カ月)を充実したものにすることがホスピスの役割なのである。
そのため、ホスピスでは、特別な修練と経験を積んだ医師をはじめ、看護師、臨床心理士、薬剤師、栄養士などの人々がチームを組んで患者さんとその家族を支援する。ホスピスでは、自宅でくつろぐのと同じ感覚で過ごせるように、食事内容もほとんど制限なく、酒やタバコも許可するケースが多い。家族がホスピスを訪ねて好物の料理を作ってあげることもできるように配慮されている。

在宅ホスピス
つまり、ホスピスで実行していることは、実は擬似的な在宅ケアなのである。
ならば、条件さえととのえば、本来の在宅ケアのほうが末期の患者さんのためには良いに決まっている。在宅のほうがストレスが少なく、QOL(生活の質)もより良く保つことができるだろう。費用も少なくて済む。
とくに心配される痛みや症状のコントロールに関しては、今では入院しなくてもパップ剤(麻薬性の貼り薬)その他の薬剤などによって在宅医療(訪問診療)でも十分に処置できる。だとしたら、「在宅ホスピス」こそが、患者さんと家族にとって理想的な緩和ケアを実現する方法となるに違いない。
ホスピス内でのケアと同様に、在宅ケアでも、在宅医療の経験を積んだ医師・クリニックが中心となって、看護師(訪問看護ステーションから派遣)、介護ヘルパー(介護事業所から派遣)、調剤薬局(患者さん宅へ処方薬を配達)と協力関係を発揮すれば、ホスピス内でおこなわれるチームによる緩和ケアと同じことが実現できる。現に、私のクリニックではこうした関係各所とのコラボレーション(協力)によって在宅医療をスムーズにおこなっている。

地域全体のケア機能のアンサンブル
このコラボレーションの一環に、地域の専門病院や中核病院を加え、より幅広い協力関係を構築すれば、一つの地域全体が「屋根のない大きな病院」という機能を発揮することになるだろう。私自身は曲りなりにも、それに近い形を実現しているので、同じことが他の地域でもできないはずはない、と考えている。
つまり、在宅医療とは、患者とホームドクターとの一対一の関係ではなく、「患者と家族」を中心に置いた地域全体のケア機能のアンサンブル(合奏)なのである。在宅医療が目指すべきは、まさにこのアンサンブルではなかろうか(p.250)。

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「私は医者である。が、白衣は着ない。いつもラフな私服で診療する。訪問診療もすべて私服でしている。もちろん、白衣を着ないからといって偽医者ではない」
このような書き出しではじまる本書は、630例を超える死を看取ってきた訪問専門の医師の心に残った、終末期医療の感動の実話9編が書き綴られている。著者は、年に平均70人、週に1人のペースで患者の死を看取ってきたことになる。
物語は必ず患者が死亡して終わるので暗いイメージでとらえがちだが、読後感はむしろ逆で、現実を受け入れ残された時間を精一杯生きようとする患者の姿に感動さえする。無意味な延命治療を拒否し、住み慣れた家で家族とともに過ごす、在宅死を選択するという、人生に対する前向きな態度に評者も共感する。
 現在の日本では、在宅死は死者全体の1割あまりにすぎず、8割強は病院で死ぬという現実がある。これは死を敗北とみなす医者のための医療と、それにすがりつかざるを得ない患者と家族の多さを物語っている。
どの話も興味深いが、とくに、第五話の「自宅で死ぬこと」は圧巻である。「先生。ぼくは痛い治療や激しい治療をしてまで命を永らえようとは思わないんです。ぼくはね、この家で死にたいんですよ」。桑田さんの在宅死の意思は固い。
先輩の腎臓担当医師は、桑田さんの病状悪化に、「われわれ医者としては、患者さんの命を縮めるような真似はできないじゃないか。延命できるかぎりは延命処置をとるのが医者の義務だろう」と入院を促す。しかし著者は、先輩医師を説き伏せ、自宅で正月を迎えさせるべく桑田さんを退院させる。桑田さんの決断は著者の決断になった。
自宅に帰った桑田さんは、人工透析を拒否し、何度か山を乗り越えた末、子や孫や友人、看護師、ヘルパーが見守る中で、肺気腫・腎不全のため享年81歳で静かに息を引き取った。体には注射針の穴ひとつない奇麗な遺体だった。桑田さんは痛みも苦しみも感じることなく、家族や友人に囲まれながら、この世を去っていったのである。
「桑田さんがあの世へ向けて静かに一歩を踏み出したように、私も医者の立場から見た終末期医療ではなく、患者の立場からみた終末期医療へと一歩だけ踏み出すことができた」。この文脈は、死を充実した生の締めくくりとする「終末期患者のための医療」へと一歩を踏み出した瞬間であったと読み解くことができる。著者はこうして「看取りの医者」になった。
数多くの「看取り」を続けてきた医師が問う「人にとって最もふさわしい最期の場所とは」が、本書の「問い」(テーマ)である。そして第九話の「自宅で死のうよ」がその答えである。患者には末期ガンや脳梗塞を患う人が多く、これまで何百人も患者の自宅で看取ってきた。その過程で、悩みながら、涙ぐみながらも、切なくも感動的な家族の形を知った。
慣れ親しんだ自宅で家族に「ありがとう」といって亡くなっていく人々の話は感動的だが、介護している人の負担の重さ、必ず浮上してくる金銭問題も無視できない。自分だったらどこでどんなふうに最期を迎えたいか、考えずにはいられない。
以上


ブルーノ・パリエ著/近藤純五郎監修・林昌宏訳『医療制度改革―先進国の実情とその課題』白水社、2010年4月

本書は、パリ政治学院教授ブルーノ・パリエ氏のフランス語著書La re´forme des syste`mes de sante´.の日本語全訳である。著者は、現在、フランス国立科学センターのメンバーで、「ヨーロッパの社会保障制度改革」の審議会のメンバーとして、フランスならびにヨーロッパの社会保障制度の改革に携わっている。専門は医療制度改革や年金制度をはじめとする社会保障制度の国際比較である。著者は「福祉を費用としてではなく、投資として捉えることのできる制度づくりが必要なのではないか」と問いかける。
 米国、スイス、フランスなど、最も自由化が進んだ国の医療制度は、最もコストが高いにもかかわらず、優秀な医療成果を残していない。きちんとしたデータから、医療分野の市場競争は医療費を急増させ、社会的格差を拡大させることがわかっている。要するに、医療サービス提供を市場にまかせることは、保険会社をはじめ金融市場にとっては朗報かもしれないが、民営化推進論者のブィジョンとは異なり、貧富の差が医療の差となり、ひいては寿命の差となる、恐ろしい社会の到来になると著者は警告する。
 1980年代前半に福祉を切り捨てたサッチャー政権のイギリスとレーガン政権の米国において、両国の平均寿命の伸び率が他のOECD諸国よりも下がったことを引き合いに出しながら、一部の業界の有利のために最大の公益ともいえる平均寿命が破壊されてしまったと指摘する。
 私は、2010年10月に東京で開催された、保健福祉広報協会主催の「H.C.R(Home Care & Rehabilitation Exhibition).2010国際シンポジウム」で「ヨーロッパの医療制度改革の動向と評価」と題したパリエ氏の講演を聞く機会を得た。氏が医療への競争原理導入を厳しく批判するとともに、日本の高齢者医療制度も批判したことに強く共感した。パリエ氏がいうには、ヨーロッパ諸国には「連帯」の思想があり、高齢者のような弱者だけを集めた制度設計などありえないそうである。日本の医療制度ももう一度「連帯」という言葉を思い起こすべきではないだろうか。

奥山正司「都市貧困老人の家族生活史の分析――不安定就業階層の老後問題」

山谷地域での高齢者の生活史分析を行った研究業績には、奥山正司らの「都市貧困老人の家族生活史の分析――不安定就業階層の老後問題」1)がある。まず奥山は、佐藤嘉夫とともに「不安定職業階層の老後問題」(『老年社会学』)で、山谷地域での高齢者の生活史分析を行っている。そこで明らかになったことは、第一に、“高齢日雇労働者”として、人生の最期をむかえた人々も、そこにたち至る過程は、非常に多様かつ複雑えあり、その意味では、高齢日雇労働者にも階層性があることがあきらかになった。ほか、第二に、それは主として社会階層移動―層的転落の違いとしてとらえることができ、その移動―転落の類型は、大きく三つ――「不安定階層停滞型」「一般階層青年期転落型」「一般階層壮年期転落型」――に要約できること、そして第三に、それぞれの階層移動の仕方、すなわち世帯の経済的浮沈の有り様によって、家族の生成、発展、消滅が大きく条件づけられていること、そして最後に、比較的安定した職業生活や家族生活を体験している「一般階層壮年期転落型」が多く、調査の対象となった、「山谷」地域への新入者に占める高齢者の割合が年々高くなっていること、そのことからより上位の階層や「山谷」以外の地域の問題との結びつきをもっているという意味で「山谷」地域にみられる高齢日雇労働者の老後問題は、一般的性格をもっていることなどが明らかになったのである。
本論文はそのうえで、さらに家族生活史の分析を詳細に行うことによって、主として家族発達の諸段階における家族構成の変化を跡づけようとした。そしてそのことを通して家族構成の変化に含まれる家族の未発達、崩壊といった家族解体(family disorganization)の現象は、先に見た社会階層移動の要因、時期などと、どのように結びついているかを考察しようとした。
その結果、奥山は、3つの論点を明らかにし、そのうえでさらに3つの問題提起を行っている。一つは、高齢日雇労働者の家族生活史は、一般の労働者のそれと、周期的にみても非常に異なるという意味で、一面では特殊な問題を含んでいるということである。それは主として、婚姻関係の形成の遅れと家族周期の不規則・不連続として捉えられた。そして、補足的にではあるが、その中には寿命(life span)が短く、その意味で、本人の家族周期の晩期が欠落しているといった問題も含まれるということも知られた。
二つには、一般の勤労者と異なった周期を辿るとしても、高齢日雇労働者層として、ある一つの周期パターンにすべてが包括されるものではなく、個々の労働者の家族生活史は、複雑かつ多様な面をもっていることである。三つ目は、相対的に安定した職業生活、家族生活を有したもの(奥山がいう、「第Ⅲ類型」)ほど、一般の勤労者に近い周期をもつことである。奥山がいうように、これらの結果を一般化することは困難であるが、そこからは3つの論点が抽出された。
まず一つ目は、生活周期(家族周期)の安定化を計るということであろう。社会保障政策は、多くの点で安定した生活周期を前提としている。その意味で、仮に社会階層的に異なった生活周期を描くとしても、何よりも、それなりに周期そのものが安定しているということが前提とならなければならない。それは、主として職業生活での安定、すなわち、失業対策や労働の保障ということによって、基本的にはなされるであろう。階層的に上下の差があっても、それなりに生涯を通して安定した職業生活を得るということが重要なのである。そ奥山の論文でみられた老人層の多くは、戦争の影響をまともに受けており、ことに家族周期の第2、第3段階にあったものほど、大きな打撃を受けたといえた。これらの層における老後問題は、まさに戦争問題であり、その最低生活保障に対する国家責任が一層明確にされなければならない。
二つ目は、非常に複雑かつ多様な生活周期をもつような場合には、職業生活の安定を踏まえながら、単身、欠損、多子などの家族の縮小あるいは膨張といった出来事に対して、それぞれの原因に応じて、生活保障を行うことが必要であると考えられた。
三つ目は、特に、比較的恒例化してから転落するといった問題は、非常に一般的性格を帯びる可能性をもっている。家族の老親扶養機能が衰退し親族網の縮小・弱化しつつあるわが国の現状は、比較的上位の階層でもいっきょに、日雇といった最下の層にまで転落しかねないという事実を示している。このような問題対処するためには、そうした転落をくいとめるためのディフェンスが、いくつかのレヴェルにわたって整備されることが必要なのではないか、と問題提起している。
以上の問題的は、一般化できるかどうかは今後の実証的研究の積み重ねを待たねばならない、と奥山は述べているが、具体的な社会保障政策の対応が検討されねばならない、との指摘は、筆者の問題関心とまったく同じであると述べることができる。

注1)奥山正司「第10章 都市貧困老人の家族生活史の分析――不安定就業階層の老後問題」『大都市における高齢者の生活』法政大学出版会、2009年3月。本書の初出は、奥山正司・佐藤嘉夫「都市貧困老人の家族生活史の分析――続・不安定就業者階層の老後問題――」『老年社会学』№10、東京大学出版会、pp.23-35、1979年、である。

川上昌子『増補改訂版 都市高齢者の実態』学文社、2003年4月

本書は、1997年に淑徳大学社会学部研究叢書『都市高齢者の実態』として刊行したものに、主に序章と終章を加筆して、日本女子大学大学院人間生活研究科において博士号の審査を受けたものである。博士論文のタイトルは「80年代都市高齢者の生活条件に関する実証研究」である。改訂版として再版するに当たり、タイトルは以前通りとし、副題を「N市高齢者の生活条件と介護問題に関する実証研究」から、「社会福祉学としての考察」に改めている。初版も社会福祉学としての考察を意図したものであったが、考察は不十分であった。その点を補ったのが改訂版であり、著者の博士論文である「80年代都市高齢者の生活条件に関する実証研究」であると著者は述べている。
 本書の意義は、80年代という高齢者福祉の転換期における包括的な実証研究である点である。介護保険登場前の前提とされている「介護のニーズの一般化、多様化」とは、具体的にどのような内容のものと理解すべきかについて述べている。種々の高齢者問題が、介護保険により実際にどのように問題解決できるか、あるいはできないか、80年代の実態の把握は、その後の変化は把握し測定していく上において、ある意味で継続的に観察していくための歴史的基点としての「定点」を提供すると考えられる。本書は、歴史的「定点」としての意義を果たしている著作であるといえよう。
 さて本書は、都市高齢者の一般的な生活実態と要介護の側面の実態について述べたものである。習志野市において、1986年から1990年までの間に市全域にわたる基礎調査と病弱老人調査、老人病院入院者調査、特別養護老人ホーム入所者調査を実施する機会を与えられた著者が、それらの調査結果をまとめたものである。
本書は、4つの調査から構成されている。第一の高齢者の習志野市全域調査は、都市高齢者の生活実態と生活条件を明らかにするために実施された調査である。調査対象は、習志野市全域に居住する60歳以上の高齢者を含む世帯である。調査対象の選定は、老人福祉課に常備されている、60歳以上の高齢者名が町ごとにリストアップされている昭和61年4月1日現在の高齢者名簿に基づいて行われた。高齢者の世帯代表者を定め、その年齢により60歳~74歳と、75歳以上の二つのグループにわけ、60歳~74歳は5分の1、75歳以上は2分の1を目安に、無作為に抽出し対象とした。高齢者の代表者とは、夫婦であれば夫を、高齢者が同一世帯の二世代であれば、年長の世代のものを原則として代表としている。60歳以上の高齢者を含む全世帯9,238世帯のうち1,996世帯21.6%を調査できたことになる。調査は、世帯表と個人票の二種類を用意し、各世帯を訪問して面接調査により回答を得ている。面接調査にあたったのは、淑徳大学で社会福祉学を専攻する学生および千葉大学看護学部教員、淑徳大学社会福祉学部教員、そして習志野市役所「老人実態調査プロジェクトチーム」の職員である。調査期間は、昭和61年7月21日から8月11日までを中心に、さらに回収の悪い地域については10月に追加調査を実施している。
ほかの3つの調査は、1986年に実施した「在宅病弱老人調査」であり、分析対象ケースは50ケースであった。老人病院、特別養護老人ホームにみる介護の社会化に関する調査結果は、習志野市に所在する老人病院1か所で行った調査票調査であり、患者の担当看護婦の協力も得ながら、事務局で捉えている以上の個人的情報も提供してもらえている。特別養護老人ホーム調査は、習志野市には対象のホームがないことから、他市との共同の特別養護老人ホームや他の市町村の社会福祉法人のベッドを確保している、それらの入所措置者について、詳細な家族に関する情報や本人の身体状況について、ケース台帳の内容を調査票に転記してもらう形で、記述してもらったものである。老人病院の調査数はちょうど100であり、特別養護老人ホームの調査数は98であった。調査を実施したのは1990年であり、医療改革が進められているときであり老人病院に関していわゆる「社会的入院」がもっとも問題とされていた時期であった。
本書の終章では、4つの調査から得られた都市高齢者の生活条件に関する考察と研究動機に関して得られた示唆が7点にわたって述べられている。
第一に、経済面における子ども世帯との未分化状態、つまり扶養の必要と子ども家計への統合について指摘し、さらに、生活条件の格差に関する実態を示した。高齢者の基本的といえる生活条件は、年金、同居、持家であり、個々の高齢者の生活のあり方はそれらいかんに個別に規定されている。生活条件としてもっとも多いのは老人世代の収入の少なさを同居でカバーしている形であった。未分化状態が最も多いことが政策のあり方を考える上で基本となる重要な点であることが強調されている。
第二に、要介護者の問題についてであるが、在宅の寝たきり老人も、特養老人ホームの入所者も、老人病院、老人保険施設の入院者も、皆同じような様子をしており、違いはないといわれることをしばしば耳にする。この調査からわかったことは、一般にもっとも好ましいとされるところの家族に依存する「在宅」生活が、ともすると要介護者を作り出すメカニズムとなりがちであることと、不十分な生活条件に規定されるところの不十分な介護の実態である。在宅介護が不十分な生活条件の下で行われていることに注目する必要が強調されている。
第三に、在宅から外に出た老人はどうか。特別養護老人ホームの入所者をみれば、入所前の家族構成そのものは子供との同居世帯が6割もあった。しかし、同居世帯員に身体的、精神的、経済的に問題をもつ者が多く、いわゆる多問題家族が多くみられている。つまり、それらのために老人を含みこんだ未分化状態を維持できない世帯ということができ、「絶対的窮状」とも表現できる。著者はそれを「家族崩壊」であり、単身化して入所となる、と指摘している。このような未分化状態と「絶対的窮状」とが相互に関連しあっていることを指摘している。
第四に、何度も繰り返し指摘するように、在宅の平均的状態も決して満足できる状態とはいえないが、それでも両者の生活条件の間の格差は大きいといえる。全体として経済的な生活条件の違い、つまり階層性があることを明示すことができた、と著者は指摘する。そして生活の総体としての階層性の存在も介護問題まで含めて、不十分ながら示すことができたと考えている。現状としての老人病院や特別養護老人ホームは、さらにおそらくそこに至る以前の状況まで含めてミニマムが確保されているとはいえまい。老人病院入院者について指摘できることは、家族の条件がより不十分な者の場合に、在宅で介護できなくなる限界点が早めにやってきているということである。
第五に、以上の状況は、日本の中で相対的にかなり恵まれている一自治体における高齢者の実態である。依存できる家族があり、持家があり、同居できている者が多いが、それは今日では恵まれているといえる条件であり、多分、それらは他人の誇示できることなのである。今日、高齢者生活の分化、自立化は芽生えてきている。経済面での自立化が夫婦健在である類型において進んでいるように、条件さえあれば自立化は進むであろう。また、今後、意識の面では自立化は急速に進むかもしれない。しかし、それに伴う諸条件が確保されず、家族に依存しなければならいないとすると、家族内の関係の軋轢は、さらに大きくなることであろう。だが総じていえば、経済生活と介護の両面において調査時点において未分化の状態にあるというのが調査分析からの結論である。
第六に、新ゴールドプランおよび介護保険の導入により1980年代に捉えた家族依存とい老後生活の基本的あり方がどう変容するかである。家族依存からの脱却のためにはホームヘルパー派遣事業が単身世帯の地域での老後の生活を最後まで支えうる量と内容、組織であるかどうかが重要な点であろう。加えて、収入が高齢者のみ世帯の生活を維持できるかである。
第七に、以上を踏まえて、三浦文夫が「貨幣的ニード」と「非貨幣的ニード」に分離したことについて言及している。第1に、介護は家事労働であることを著者は述べている。家計が豊かであればサービスを外部から購入することも可能だが、そうでなければ家族の中で担うしかない。本書はその実態を述べている。介護ニードは老人の身体状況にだけ規定されるのではなく、家族構成や収入、住宅といった経済的要素にも規定されるのである。第2に、家族構成も老人単身も老人夫婦といった核家族ばかりにではなく、むしろ同居世帯の方が多く、それだけでなく晩年において追加的に同居へと移行していく傾向がみられることを指摘している。以上を考えるなら、介護ニードは誰にとっても等しいニードとはいえないことになる。従来の応能負担から介護保険による応益負担への変更が、より所得の低い者の利用抑制として作用していることは指摘されるところである。介護保険は誰でもが保険料を負担し、だから誰でもが権利として利用でき「選択」できる制度、つまり利用の権利としては「普遍主義」と言えても実際の利用においては不均等とならざるを得ない。したがって、目下のサービス利用計画状況においては「在宅」を、つまり日本でのその意味で依然として家族依存を前提としているということであるが、その点が現実にどのように克服されていくのかの検証は今後必要であろうと著者は考えている。
医療サービスが普遍化するためには、医療保障制度の確立を必要とした。それと同じ意味において高齢期生活保障の観点から、家事援助サービス、介護サービスの「普遍主義的社会福祉体系」の確立が望まれることはいうまでもない。だがそのためには同時に年金や住宅保障についても老後生活の安定のためには「普遍主義的社会福祉体系」が並列的に確立さえなければならないことを著者は主張している。

「地域と高齢者医療福祉」論文要旨

「地域と高齢者医療福祉」論文要旨

〔はじめに〕私達が暮らしている“地域”は、急激に変化・変貌している。そして地域で生活する多くの人が健康や老後に対する不安を持っていることは明らかである。本研究は、21世紀初頭の日本社会の高齢化を強く意識しながら、わが国の高齢者医療福祉政策を地域から考察した研究である。本論は4つの査読付き研究論文と投稿論文等から構成されている。本論第三章は、拙稿「医療計画と地域政策」(日本地域政策学会論文)と「急性期入院加算取得病院と地域特性調査による医療連携の分析」(日本遠隔医療学会論文)の研究論文が基になっている。第五章は、「中山間地域の高齢者と在宅ケアについての研究」(日本地域政策学会論文)が基になっている。そして第六章は、筆者が本研究の一環として行なった個人研究であり、研究の一部は「長野県泰阜村の保健・医療・福祉の統合」(『くらしと健康』)に掲載されている。第八章の一部は、「病院勤務医師不足の現状と対応についての研究」(日本医療福祉学会論文)が基になっている。

〔序 章 地域と高齢者医療福祉の研究課題〕はじめに第1節は、本研究の枠組みである、今日的な地域福祉の役割について述べている。これまでの地域福祉の考え方を踏まえた新しい地域福祉の考え方とは、社会起業が地域福祉活動としてのソーシャル・インクルージョンと地域の活性化に結びつくものとして、地域福祉計画策定に位置づけられているなどの地域福祉の考え方であり、本研究はそれを研究の枠組みとして、地域で生活する高齢者の医療福祉に焦点を当てた研究である。第2節は、地域政策における「高齢者医療福祉」とは、高齢者の生活を支えるためには医療と福祉が合体して提供される必要があることを述べている。第3節では、本研究が対象とする地域の限定を行なっている。高齢者の増加予測から都市部及び都市周辺での高齢者の増加を指摘するとともに、これまで保健・医療・福祉連携の先進活動地域を文献調査から特定し、人口と高齢化率という2つの軸で分類化したところ、4つのグループに区分することができた。そのうちの第Ⅰグループは人口3万人未満の小さな基礎自治体であり、その多くが医療と福祉を統合化して住民にサービス提供を行っていることが確認できた。そして、人口3万人から80万人未満のグループは第Ⅱと第Ⅲのグループを形成し、人口100万人以上のグループは第Ⅳのグループを形成することを明らかにした。本論が研究対象とする地域は第Ⅰから第Ⅲのグループであり、日本の人口の約7割を占める人口50万人未満の中小市町村と過疎山村の高齢者対策を重視している。
以上を踏まえて研究対象地域の特性を相関分析の結果から提示したうえで、第4節で本研究の問題提起を行なっている。第一に、医療と介護・福祉の機能分化と連携はどこまで進んだのか、第二に施設介護から在宅介護への誘導はどこまで可能か、第三に介護の地域間格差はどのように出現したのか、について問題提起している。そして、本章の最後に本論の構成について述べている。

〔第一章 地域と高齢者医療福祉の研究方法〕本研究の目的は、大都市を除く都市周辺、及び中山間地域、過疎山村で生活する高齢者を支える医療福祉の現状と課題について考察することである。研究方法では、研究の視角として高齢者を取り巻く3つの統合課題を挙げた。そして、保健・医療・福祉の連携と統合、総合化、複合体の概念の整理を行った。そのうえで研究の基礎となる調査の概要と本研究の限定を行い、調査方法として、第四章、五章、六章では、非構造化面接法による事例調査法を採用した。第四章、五章の被調査者の選定は有意抽出法とし、非確率的標本抽出法の一つである理論的標本抽出法で行なった。第六章は、過疎山村限界集落高齢者の全数調査である。データの収集は、対象者の居宅において非構造的インタビューで行なった。分析方法は、事例データを水野節夫の簡易整理法で分析した。

〔第二章 高齢者医療福祉の現状と研究〕はじめに第1節では、高齢者医療福祉政策の歴史について、戦後から介護保険制度導入までレビューした。第一期は1945年から54年までの時期とし、第二期は1955年から73年までの時期、第三期は、1974年から88年までの時期とした。とくに、老人保健法の成立、高齢者サービス調整チーム、長寿社会対策大綱と国民医療総合対策本部中間報告、厚生省「今後の社会福祉のあり方について(意見具申)」について内容を述べている。そして第四期は1989年から99年までの10年間であり、ゴールドプランから新ゴールドプランへ、介護保険制度の創設、などの内容を述べた。第2節では、高齢者と医療福祉の現状について、日本の高齢者の状況、高齢者医療と介護保険、高齢者の介護ニーズの変化、地域と高齢者の生活について、課題ごとに整理して述べた。第3節では、政府の高齢者政策の限界について述べた。政府は都市部の高齢者の増加をとりわけ問題にしているが、農山村地域での高齢者対策の遅れは深刻であり、医療と福祉の基盤整備の遅れや医師不足の問題は地域崩壊を進めることを指摘し、中央省庁が一致して地域政策をデザインすることが求められているが、わが国のタテ割り行政のもとで総合政策をつくることは容易でない。第4節では、地域と高齢者医療福祉の研究について、都市高齢社会の地域福祉の研究、中山間地域高齢者を対象とした医療福祉の研究、農村における医療福祉の研究、都市と農村の福祉研究、その他の研究アプローチや高齢者の生活実態調査など国内文献のレビューを行なった。本研究のように高齢者とその家族から直接聴き取りを行ない、在宅で生活する高齢者を支える地域医療福祉の構造と政策課題を探索しようという研究は他にあまり見当たらない。また、都市や農村の高齢者の分析や高齢者福祉の研究は、都市社会学や農村社会学などの研究系譜からのアプローチが多くみられる中にあって、政策を強く意識しながら制度利用者の分析を行なった研究もやはりそう多く見られない。そして、本研究は医療と福祉の制度機能面を研究視角としているが、このようなアプローチをした研究はほとんど見当たらない。

〔第三章 地域と医療福祉機能分化政策〕はじめに第1節では、医療機能分化政策は全国どこでも万能ではないことと、政府と厚生労働省が患者中心の医療を実現するために欠かせない政策として提起する医療連携も、実は限られた条件の地域でしか可能ではないことを、地域と医療福祉機能分化の課題として提起した。第2節では、医療福祉機能分化の分析方法として、病院機能分化の政策誘導が最も顕著であった「紹介率」を指標とした調査研究方法について述べている。第3節では、医療機能と地域特性について363の医療圏を分析した結果について述べている。第二次医療圏当たりの病院数は平均25.3施設であるが、1施設しかない地域から255施設ある地域まで大きなばらつきがあった。病床数は54床から43,734床まで医療圏の間で大きな地域較差があった。医師数は33人しかいない地域から7,984人いる地域まで242倍の較差であった。
重回帰分析の結果、選択された説明変数と4つの連携加算取得病院数とのt値、p値から最もモデルの当てはまりが良かったのは急性期入院加算取得病院数であった。そして重回帰分析の結果選択された変数のうち、療養病床数、診療所数、1日平均入院患者数(一般病院)、1日平均外来患者数(一般病院)、診療所医師による訪問診療実施件数(医療保険)は正の関係であったが、病床利用率、1日平均入院患者数(一般病院)、診療所医師による居宅療養管理指導実施件数(介護保険)は負の関係であった。第4節では急性期医療と地域の考察を行った。急性期入院加算取得病院がある155医療圏を抽出し、ロジスティック回帰分析から人口が選択されたことで、人口が多い地域では医療資源も多く、連携加算取得は可能であることを示していた。そして、医療圏人口約25万人に対して加算取得病院が1つという推定になった。
本研究は、第一にわが国の第二次医療圏における地域医療特性は実に大きなバラツキがみられることを明らかにした。そして第二に、急性期病院との医療連携には人口が強く関係しており、どの医療圏でも地域医療連携がうまく進むことはない可能性が示唆された。第三に急性期病院と地域で連携するためには、医療保険の診療所医師による訪問診療実施件数を増やす取り組みが大事であることを明らかにした。第四に本研究は一つの提案として、診療所医師が患家を訪問しなくても、在宅療養する患者を電子化されたツールを使って遠隔で容態をみることで介護保険報酬が得られる、または、診療報酬上の点数が加算されるならば、今より在宅との医療・介護の連携は進むであろう、と考えられた。第五に厚生連病院を事例とした調査では、31の医療圏で導入が有効である地域を抽出した。これらの医療圏では、圏内に複数の医療機関や社会資源を有する場合には、施設間を結ぶネットワークツールとして遠隔医療は極めて有効であろうと思われ、とくに、医師の偏在が問題とされる地域では、施設間を結ぶネットワークツールとして、遠隔医療は一層医師の診療支援に役立つことが期待できるものと考えられた。

〔第四章 地域で高齢者を支える医療福祉の構造〕はじめに第1節では、地域と高齢者医療福祉の課題について述べている。1つ目は認知症高齢者の増加であり、2つ目は同居率の低下に伴う一人暮らし高齢者の増加、そして3つ目は都市部における高齢化であり、都市部では急速な高齢化が進むことが予想されている。第2節では、関東地方対象地域の概要について、対象とする県と地域の介護保険上の特徴を述べている。第3節では、高齢者の生活と医療福祉の分析を行った。まず、考察の視点を決めて、次に、高齢者の生活を支えるカテゴリー間の構造を明らかにした。第4節では、高齢者医療福祉の考察を行った。第3節で抽出された考察の視点と高齢者の生活を支えるカテゴリー関連図をもとに、高齢者の身体状態と生活、高齢者の自立、地域や社会とのつながり、在宅生活を支える家庭条件、在宅生活を支える社会条件、などについて分析を行なった。
本章は結論として、第一に首都圏で生活する高齢者は比較的家族との同居が多く、いまだ家族介護が主流となっており、家族介護の多さは問題であるが現状では何とか高齢者の介護は家族介護で成り立っている状態であった。第二に、介護保険利用者数の増加については今後ますます在宅サービス(ホームヘルプなど)の利用者数の増加が大きくなると考えられた。第三に首都圏にこそ多い団塊の世代が今後要介護状態になってくることを考えると、現状の社会資源で果たしてまかなえるのであろうかという疑問が生じた。今後の引き続く研究では、標本数を多くしながらとりわけ首都圏の団塊世代の高齢者の動向について調査することが課題であった。

〔第五章 中山間地域の高齢者と医療福祉〕はじめに第1節では、中山間地域の医療福祉の課題について述べている。中山間地域の状況は、人の空洞化、土地の空洞化、地域社会の空洞化が起きている。第2節では、中山間対象地域の概要を、平成の大合併で日本一面積が大きな市となったT市での被調査者の特徴とケアプラン分析の結果について述べている。第3節と4節では、第四章と同様の方法で中山間地域高齢者の分析と考察を行った。
本章では、第一に中山間地域で介護保険サービスを利用する高齢者30標本の調査結果とケアプラン(N=131)をもとに考察したが、デイケアやショートステイなどの社会資源が不十分ななかで、高齢者を抱えた家庭では介護負担感が強くなっていた。在宅でのケアは、利用できる在宅ケア支援のための施設が少ないことから相対的に多くなっているが、家族介護負担を軽減させるためには、施設ケア、または、在宅ケア支援サービスを充実させるとともに、とくに重度障害高齢者の場合には、障害者自立支援給付等の制度の事業者と連携すること、または介護事業者が指定を受けるなどして、地域で支えていくことが必要になっていた。第二に高齢者の移動の問題を考えると、訪問系の社会資源を充実することも必要であった。医療資源の問題では、24時間訪問看護の利用や2006年4月に在宅療養の受け皿として新設された「在宅療養支援診療所」の活用が重要であるが、2006年中医協資料では、全国の在宅療養支援診療所の届け出総数は全診療所数のわずか8.7%であった。開業医が一人で、在宅で看取りをすることは不可能であり、地域医師会としても体制を整備する必要がある。第三に都道府県は地域保健医療計画と介護保険事業支援計画の中で、在宅ケアを担う必要な社会資源を計画に位置づけて、地域全体のケア整備計画を立てるべきである。本研究からは、中山間地域で要介護度の高い高齢者を介護する介護者の介護負担感は最も強く、未だ不十分と思われた社会資源の充実を含めた介護の社会化を実現するための引き続く資源配分が必要であると結論された。このことを計画のなかで実現すべきである。

〔第六章 過疎山村限界集落の高齢者と医療福祉〕本章は過疎山村限界集落における高齢者と地域福祉に関する質的研究を行なった結果について述べている。はじめに第1節では、過疎山村限界集落の高齢者と地域福祉の課題について提起し、第2節では、過疎山村の長野県下伊那郡泰阜村の在宅医療福祉の概要について述べている。村は在宅福祉サービスの充実に取り組んできた結果、本人が望むなら在宅で死を迎えることもできるようになった。在宅死が増えることで一人当たり老人医療費は下がり、全国平均や長野県平均より低い結果となった。第3節では、限界集落の高齢者と地域医療福祉について述べ、第4節では、過疎山村限界集落の高齢者医療福祉の分析を行い、第5節で過疎山村限界集落の高齢者と地域医療福祉の考察を行っている。
本章は結論として、第一に拡大する限界集落に対しての政策が必要となっていることを明らかにした。そのためには、現在生活している高齢者が少しでも元気に生活し続けられる条件を整備する必要がある。自由に移動できる移送サービスを新たに開発したり、ケアセンターを生活に近いところに設置したりすることはその手段となる。第二に生きがいが持てるような地域での雇用の場づくりが求められている。高齢者の雇用の場を地域に創設するならば、年金に加えた収入が得られることで生活も楽になる。しかも、職場で他の人とミュニケーションをとることが、何より高齢者の閉じこもり対策となる。そして、働き甲斐は生きがいとなるであろう。第三に、泰阜村の事例からわが国の在宅ケアを考えてみると、わが国には在宅死にこだわる医師がどれだけいるのであろうか、という当然の疑問が頭に浮かぶ。厚生労働省がいうように、これから在宅で最期を迎える老人を支援するには、医師の存在と終末期の考え方が最も重要であることは、泰阜村の事例が明らかにしたことであった。したがって今後、わが国では未だ不十分な家族や医師の終末期のあり方を国民的レベルで議論する必要があろうと思われた。

〔第七章 高齢者医療福祉と地域間格差〕本章は、第4章と第5章の分析結果から、首都圏と中部地方の統計データを利用して地域間格差について考察を行なった。はじめに第1節は、医療・介護サービスの地域格差について述べている。第2節では、在宅介護力の地域間格差について分析し、第3節では、介護施設の地域間格差について述べている。その結果、14大都市、首都圏、中部地方の高齢者対比介護施設定員率を算出し比較した結果、介護施設を増やす必要があるのは都会と過疎の村であることが示唆された。最後に、地域社会が求める介護サービスの考察を行った。
本章は結論として、第一に介護サービスの地域間格差の存在は分析から明らかとなった。本研究では、中山間地域の介護サービス利用率は有意に低かったことから、東京を除く首都圏と中山間地域での介護サービス利用の違いを明らかにした。地域格差の存在を踏まえたうえで、住民が必要なサービスを効率よく利用できる仕組みをつくる必要があると考えられた。第二に人口密度で有意な地域間格差がある地方の比較から、在宅介護力の地域間格差が存在することを明らかにした。調査対象地域の人口密度と在宅介護力指数の相関分析では、東京都と北海道を両極に県別の格差が出現していることが示唆された。東京を除く首都圏の市町村と中部地方5県の市町村を対象地域とした調査でも、有意に地域間格差が出現していることが確認された。つまり、人口密度に地域間格差がある地域では在宅介護力にも地域間格差があることが明らかになった。第三に人口密度と在宅介護力との相関分析では、「人口密度が高い地域は在宅介護力指数が高く、一方、人口密度が低い地域は在宅介護力指数も低い」という、一般的な通説を確認できた。第四に大都市と市町村の在宅介護力の分布の比較を行なったところ、大都市の在宅介護力は一定程度保持されており、中部地方の在宅介護力は東京を除く首都圏の在宅介護力より低かった。そして、大都市と市、町村の分布の比較では、町村の在宅介護力は比較的高かったが、バラツキが大きいことが特徴であった。第五に高齢者数に対する施設設置状況は、大都市では施設定員率は圧倒的に小さく、過疎地域ほど施設設置率は大きかった。同時にとくに町村では、バラツキから施設設置状況に大きな格差が出現していることが示唆された。以上の結果から、本章冒頭で述べた「都市部では在宅介護サービスは基盤整備されているが、施設介護サービスは不十分である。一方、農村部では施設介護サービスは基盤整備されているが、在宅介護サービスは不十分である」という一般通説は概ね支持できると思われた。しかし、本章の分析からは、町村のなかには在宅介護力と施設介護力の両方または片方が基盤整備されていない可能性が示唆された。このような在宅と施設の社会資源の整備が不十分な地域では、都市にしろ農山村にしろ介護する家族が介護負担感を強くする要因である。
以上の結果から、政府がことさら都市部の高齢化だけを強調することは、過疎農山村地域での高齢者対策を後景に押しやることにもなりかねない。農山村の過疎地域を含む中山間地域で、どのようにしたらマンパワーを含む社会資源を確保できるかを検討することは、農村地域で超高齢社会を迎えるにあたっての重要課題であると結論された。

〔第八章 高齢者の生活と地域医療福祉政策〕はじめに第1節では、高齢者の生活課題として、第四章と五章の考察から、①高齢者と医療・介護の課題、②高齢障害者の課題、③介護負担感とサービス受療側の課題、④高齢者リハビリテーションの充実は喫緊の課題であることを述べている。とくに、「①高齢者と医療・介護の課題」では、低所得高齢者が介護サービスの利用抑制の実際があることを指摘し、低所得者対策の重要性を述べている。同時に、住んでいる地域によって医療と福祉のサービス受療に格差があることも問題点として指摘した。
第2節では、高齢者政策への提言を行なっている。まず、機能分化と地域医療福祉についての提言は、何より地域の実情に合わせた施策を検討する必要性を指摘している。次に在宅ケアの考え方では、在宅での死亡率を指標とした政策ではなく自立して終末期をどのように過ごすかという視点からの政策化が大事であることを提言し、3番目に高齢者医療福祉提供のあり方について、看護と介護のサービス統合の重要性と地域中核施設に併設したサテライト型の施設設置の必要性を提言している。そして、4番目にケアマネジャーを地域福祉コーディネータにすべきことを述べ、地域包括支援センターを本当に地域包括ケア提供のセンターとすることを提言している。
第3節は、施設と在宅の総合的サービス提供の必要性を述べ、新たなサービス体系として、地域密着・小規模・多機能型ケアの効果と課題について述べている。第4節では、高齢者の生活と地域福祉の検討課題について、高齢者のアクセシビリティ、高齢者の生きがい、地域福祉への住民の主体性、参加性について述べている。

〔第九章 高齢者の生活を支える地域システム〕本章は、まず第1節では、高齢者の生活を支える協力社会形成の必要性について述べ、第2節では高齢者の生活を支えるまちづくりについて述べている。内容は、高齢者にやさしいまちづくり、住民による福祉のまちづくり、ユニバーサル・デザインのまちづくり、高齢者当事者の役割の重要性について述べている。「高齢者にやさしいまちづくり」では、生活圏における施設整備の在り方を最初に導入したクレアランス・ペリーの近隣住区理論を参考にした、高橋儀平の生活圏域モデルを改変して、基礎生活圏から三次生活圏を設定し、各生活圏と施設との関係を述べている。住民による福祉のまちづくりは、神奈川県逗子市の事例を紹介している。とくに、半径300mくらいの地域を「日常生活圏域」とした構想は画期的な提案であった。高齢者当事者の役割の重要性については、高齢社会の中での高齢者自身の役割が重要であることを指摘し、当事者としてまちづくりなどの政策形成に参加することの重要性を述べている。
次の第3節では、高齢者医療と介護の財源について提起した。まず、財源問題を考える前提として、高齢化の影響で財源が逼迫しているという通説は誤解であることを明らかにするとともに、わが国の保険原理が限界に近づきずつあることを、空洞化する国民皆保険・皆年金制度を事例として指摘した。後期高齢者医療制度の財源を公費9割で賄うという医師会案は評価できるとしたうえで、筆者の独自の提案として、高齢者医療と介護保険を一緒にして高齢者総合医療とし、すべて公費で賄うことを提言した。

〔終章 地域と高齢者医療福祉の課題と展望〕まず第1節では、本研究の意義をまとめている。
第一に、未成熟な介護の社会化の推進と地域格差のある介護の実態からその是正、とりわけ中山間地域での施策の充実が必要であることを明らかにした。第二に、現在の医療保険と介護保険は保険原理を基礎とし、社会資源の充実は市場原理を基本とする民間資本の参入を期待する仕組みとなっているが、中山間の過疎地域での民間資本参入は考えられず、社会資本の整備や地域独自の医療福祉システムをつくる必要がある。第三に、厚労省のいう小規模多機能型ケアの理念は生かしながら、より実現性が高い地域中核施設併設型介護サービスモデルを提案している。このモデルは労働集約的な社会資源の効率的活用を基礎的な考え方に置き、小学校区又は中学校区を単位として、病院、特養、老健などの中核となる社会資源に必要な介護サービスを併設するものである。第四に、政府、厚労省が進める医療機能分化と福祉機能の分化政策については、財源抑制を第一の目的にすることには慎重であるべきである。現在、政府が進める在宅ケアは、家族の介護労働を評価するなら財源を必要とするし、医療や介護の機能分化は新たな社会資源とマンパワーのコストの増加を余儀なくされる。全国一律に医療と福祉の機能分化を政策誘導するのではなく、地域の実情にあったやり方を奨励すべきである。第五に、厚労省が進める施設介護から在宅介護への全面的な移行は、不可能である可能性が高い。今後要介護高齢者は、大都市とその周辺のベッドタウンで増大することが予想される。これら全てを在宅で介護することは難しい。
第2節は、今後の研究課題について述べた。大都市を含むより多くの地域と事例を引き続き調査することと、高齢者医療と介護の保険方式から公費方式への転換について、具体的な方策について検討することを課題とする。同時に、本研究の目的である地域社会が高齢者の生活を支えるためには、高齢者が自立した生活をおくれるだけの最低限の経済補償についても考える必要がある。また、コミュニティの視点から地域の分析も課題である。第3節では、今後の研究展望として、医療と福祉サービス提供体制とシステムについての研究、第二に住宅保障の研究、第三に政策形成のメカニズムに関する研究の必要性を述べている。おわりに、国が財源を補償し、基礎自治体がデザインして医療福祉サービスが住民に提供できるようなシステム実現を希望している。
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